天職の作法 2

《天職の作法続編 音楽でなぜ心が育つと思うのか? 前編》
もうえらく昔に感じる大学院時代に議論した内容が、「音楽でなぜ人の心が育つと思っているのか?」です。音楽教育をやっている人のほとんどが、「音楽教育の目的は情操教育だ」というのですが、その目的をきちんと説明できた人は皆無でした。説明を聞いてみても、「音楽を聴いたら、心が揺さぶられるでしょ。心が揺さぶられるから、心で感じている。それを鑑賞したり、楽器で表現したり、体そのものを使って表現するから、情操教育なのよ」と言われるわけですが、しっくりきている部分と、しっくりこない部分がありました。

子供時代から、「歌歌ってピアニカひいて、リコーダーひけたら心が育つって、めちゃくちゃ無理あるな」と思ってました笑。確かに、いいところのお家の子がピアノを弾けたり、バイオリンを弾いたりしてたので、「音楽を習えることのできるお家」には情操教育できる余地はあるなと思いましたけど笑、そんなら楽器のプロはみんな人格者かと笑。そして、人の心というのが、「学校にいる間に、育てるものなのか?」ましては人格的にも完成していない、というか、(80パーセント以上の人がそうかもしれない)不完全人間である大人や教師によって「心は育てられるのか?」というそもそもの問いも生まれました。

 とすると、「音楽教育で心が育つのかどうか?」という問いに答えるのは、教育を考える上で、かなり有効な問いだなと思うようになりました。

まずボクが考えてみたのは、「音楽」そのものの性質です。ボクの発想だと「音楽は言語」であると考えています。そもそもなのですが、国語、数学、英語、音楽は全て言語です。

言語というのが、ある「意味」を持った記号と考えると、数字は、世界で最もシンプルな意味しか持っていない言語です。どんな国の人でも、どんな文化を持った人でも、1は1以上の意味がありません。

つまり、一つの意味しか持たないのが数字であり、誰もが誤解しようのない共通言語で世界を表現したのが「数学」となります。

それに比べ、国語や英語といったものは記号そのものです。また、単語ひとつ取っても、文章の前後の意図によって「複数の意味を持った記号」にもなります。そして、こういった記号を通じて思考するので、日本語は我々日本人の「OS」でもあります。

我々は、日本語(S+目的語など+V)を使って思考しますので、日本語の持つ「特性」が反映されます。
加えて、ひらがなやカタカナ、漢字、アルファベットを使って、文意を表現します。例えば、べんちゃー・ベンチャー・Ventureと使い分けると、その違いがくっきりすると思います。
日本語の特性では、動詞よりも前に、目的語など状況を説明するのが優先される仕組みになっていますので、何よりも、お互いの状況や使っている文意が正確に届きやすいようになっています。

*注 英語でも同じように整理。英語だとアルファベットのみで、S+Vという
動詞優先の言語になります。日本語と比較すると、動詞=行動を重んじる
OSになっています。

さて、一旦整理してみます。

単一解釈言語とも言える「数字」という言語と、多解釈言語とも言える「言語」の違いをみてきました。では、音楽は、どちらの言語になるのでしょうか?
<続く>

《天職の作法続編 音楽でなぜ心が育つと思うのか? 後編》
*また、コメント欄に感想いただけると幸いです。

前編において、「単一解釈言語とも言える「数字」と、多解釈言語とも言える日本語や英語のような「言語」の違いをみてきました。

 では、音楽は、どちらの言語になるのでしょうか?」
http://www.print-gakufu.com/guide/4003/

音楽は非常に不思議な言語です。ドレミファソラシドのそれぞれの音は数字と同じ、ドはドでしかありません。しかし、色々な組み合わせを通じて、明るい曲調、悲しい曲調など、何かしら意味を発するものではないのに、音と音を組み合わせていくことで、我々の心の中には、「感情」が勝手に湧き出てきます。

ジャジャジャジャーーーーン。

この文字だけ見ても感情は生まれませんが、ベートーベンの「運命」を思い出して、音として聞けば、感情が生まれてきます。これから何が起こるんだろう、とてつもない変化が起きるような感情が揺さぶられてきます。

つまり、音楽というのは、数字のように、1音1音には全く意味がないし、つなげたところで112324980のような無意味な数字の羅列に似たような「音と音の組み合わせ」にすぎないにもかかわらず、感情に変化が現れ、複数の解釈を想像しうる、面白い「言語」であるのです。

このことから、「音楽でなぜ心が育つと思うのか?」に答えていきます。

音楽というのは、この音楽を聴くことによって生じる「言語化されていない、無垢の感情」をベースに、異なる解釈を対話したり、無意識に生じる「無垢の感情」を楽器によってゆさぶったり、揺さぶられたりすることで、「自分自身の無意識と対話する」ことによって、心にダイレクトに関わるから、情操が育つのではないかと考えられているのだと思います。

そのため、我々が普通に親しんでいる歌詞(意味が作詞家によって加えられている)のついた歌謡曲を「音楽教育」であまり取り上げないのは、音そのものから湧き上がってくる感情の方がより情操教育に貢献すると考えられているからだと思います。
*逆に言えば、歌謡曲をもっと使うことができれば、音楽嫌い
の私のような人間は、馴染みやすいのですが。。。

このように考えてくると、我々は、国語(日本語+英語)、数学、音楽という3つ(4つ)の言語を学んでいることになります。更に言えば、言語の初期の頃を思い浮かべると、エジプトのヒエログリフにしても、漢字にしても、おおもとは「絵=イメージ」を形にし、抽象化させて文字にしたものです。とすれば、美術も絵を通じて解する言語という言い方もできます。

すると、このように9教科は再構成されます。

++++
無意識にアクセスする言語(音楽、美術)
意識にアクセスする言語(国語、英語、数学)
++++
これに
****
言語を使って社会にアクセスする(社会)
言語を使って自然にアクセスする(理科)
これらのアクセスによって生まれてきた
ノウハウや文化(技家)
****
そして、
〜〜〜〜
身体にアクセスする(保体)
〜〜〜〜

これら3つの大きな軸によって、自分と世界との関係性を構築していくのが勉強だということです。

しかし、大きな問題点があります。

この3つの視点を統合する、あるいは比較検討する「視点」がないということです。

これは、先の感想で指摘のあった「道徳がない」にリンクしていきます。

僕の視点でいうと、「哲学」(自分と世界を見ていく)という総合的な視点を学ぶ分野が日本の教育においては不足していたという風に考えています。

*逆に言えば、そのようなものがなくとも、同調圧力のしっかりしている日本ではそれほど必要がないと思われてきた傾向にあります。

では、この道徳と哲学というのを、「ルール」という視点で改めて、考え直して見たいと思います。

天職の作法 1

<何のために勉強をするのか?>

10年ぐらい前に、中高校生に話していた「天職の作法」という講演について、今日喋ったので、久しぶりに思い出して書いてみました。またご感想くださいませ。

+++
自分が教員時代に悩んでいた問いです。「勉強して、何の役に立つのですか?」。子供達に聞かれた時に、どうやって答えてよいものか。大人でも「勉強なんか役に立たないよ」という声をちらほら聞きます。

僕なりの回答は、「勉強ナメンナヨ、です、ハイ^^」(笑)

 基本となるのは中学の国数社理英技家音美体の9教科ですが、9つあるのは、「この世の中を9つの基本視点でみよう」という発想です。9つの視点で世界を切り取り、見ていくことで、世界と自分がつながっていることがわかります。そして、その学ぶプロセスにおいて、自分は何が得意で、何が不得意なことなのか、それがわかることで「世界と自分を結びつける視点」が見えてきます。
また、不得意なことがわかることで、明確に自分の進みゆく道が見えます。だから、役に立たない視点(教科)がわかるためにも、役に立つか役に立たないかわからない勉強をする必要性があるのです。

そして、この世界と自分を結びつけるもの、これがわかると、世界が様々な天才たちの遺産(数千年の歴史において名を残してきたイノベーション、世界を変えた発明)によって我々の生活が成り立っていることがわかります。火打石の発明を引き継ぐライター、車輪の発明を引き継ぐ車などなど、名もなき天才の発明によっても支えられています。

こういった天才の営みを引き継ぎ、つなごうとしてきた人類のタスキリレーの集大成が「教科書」です。

これらの天才として教科書に載るには、国民すべてに愛されてきた長嶋茂雄であろうと、あのイチローでさえも、近現代史として100年は名を残したとしても、1000年単位の視点から見る教科書には名を残すことができません。1000年の視点で見て教科書に残るとすれば、山中教授のips細胞の功績ぐらいではなかろうかと思います。それほどの天才の偉業が「教科書」には載っています。

僕の専門教科で説明すれば、社会科で学ぶことは、「どうやって平和に暮らすためのシステムが生まれてきたのか」、ケーススタディとしてこれらを共感、追体験し、どこかで歴史の意思決定が変えることができたのか、あるいは、少しでも変わることができたのか、その「物差し」となる目を養ったり、意思決定できるようになり、新たな「社会システム」を創造するために学ぶものです。

例えば、「投票」というルールを事例にしましょう。我々はこれまで、政権交代といえば、主としてやってきたやり方は「戦争」です。戦争ごとに政権交代が行われ、国の名前が変わったりしていきます。こういった戦争という方法を使わなければ政権交代できなかったのを、平和裡にできるようになったのが、「投票」というルールです。

一人一人が投票権を持ち、無血に為政者を選べることができるようになったのは、類稀なるイノベーションであり、我々は投票という「平和的クーデター」によって政権交代をすることができるようになりました。

この「投票」という営みの「凄さ」をわかるためには歴史の営みを知らずにはわかりませんし、この「投票」というルールを守り、有効に機能させるためには「投票にいく」ことによってしか維持できません。それゆえに社会科は勉強する必要があります。

そして、勉強というのは「タイムカプセル機能」を持っています。例えば、バイオリンを作っている人(音楽)がいたとします。ほとんどのバイオリンの形は似ていますが、全く違う形のバイオリンを創造しようとしたとします。そうなってくると、色々な形のものを試行錯誤するという方法もありますが、音波のでき方という視点(理科)で見れば、3Dプリンターで試行錯誤して(技術家庭)、改善ポイントが見えてきてアイデアを出す方に注力することができます。

こういった架空の事例でもわかるように、9つの視点(9教科)を学んでいることで、足りない視点が見えてくるし、どこから勉強しなおせばよいのか、どのように進めればいいのかがタイムカプセルを開け直したときのように、また勉強することが適切にできます。

ですから、勉強は今役に立たなくとも、「役に立つとき」が現れた時に、適切に「使える」ようになるためにも必要なことなのです。

もし「勉強が役に立ってない」という大人がいれば、それは「役に立てる場面を生み出せない生活」をしているのであり、勉強を必要としていない「退屈な日々」を送っているともいっているのに等しいのです。次の世代にタスキリレーをしようとしていない、天才たちの遺産にタダ乗りしているフリーライダーであることに気がついていないのです。

改めて、教科書に登場してくる天才たち、そして天才と天才たちの間で、漸進的イノベーションを繰り返してきた名もなき人々の積み重ねを感じて欲しいのです。勉強というのは人類が営んできた「イノベーションの追体験」です。我々の人類史を追体験していくことで、次世代にタスキリレーをしていくための「バトン」でもあります。

自らが大人になって、好きなこと、やりたいこと、たまたま偶然であったなどの動機のちがいはあれど「仕事」をえらび、その仕事に真摯に向き合う。仕事をつうじて、天才たちの遺産を次の世代に引き継げていくのが、皆さん自身の「天職」となるものです。その天職にしていくための作法が「勉強」という営みのことなのです。

+++

 

「地域社会維持発展法人」?

うちもこれになれるか?「地域社会維持発展法人」?
本当に1次産業での人手が足りなくなって来ています。海外からの研修生制度以上に、数を増やしていかないと、本当に基礎産業が壊れていきますね。
リンク先 https://mainichi.jp/articles/20170817/k00/00m/010/117000c

考えてみた、地域商社

<昨日考えてみた、地域商社>
昨日行われた香川大学ビジネススクールの同窓会with高松三越のワイワイ会(会の名称)。
地域商社というのが、どういうものなのか。昨今よく聞く中で色々考えるきっかけにしようと、昨日から初日として参加している青森・弘前大からきたインターン生と一緒に参加してきました(私自身は6期生でOBになります)。

色々な話をしてみて見えてきた課題は、

1)地域内の物品などを取りまとめして、どこの誰に売るのか?
国内マーケットが飽和している中、またふるさと納税とかぶ
る部分も多いので、何が同じで何が異なるのか。
2)海外向けを狙う場合、ジェトロでやっているものと何が違う
のか?個別企業がやっているのと、総合でやるものの違いな
のかどうか。
3)国内でみた場合、かなり売り方に工夫しないと、通販でもな
んでもそうそう売れない。すでに強いチャネルを持つところ
で売れたとしても、生産者や地域商社にどれほどの利益率が
残るのかわからない。それほどの製造ロットに対応できない
中小企業では、数売ってさばいて利益を確保という戦略は使
えない。ならば、どうやって仕掛けていくのか。

以上の論点を埋めるには、あまりにも時間がなかったのですが、これから地域商社を考える上で、どのような戦略を描けば良いのか、その課題をいただくことができました。

参考https://www.projectdesign.jp/201606/overseas-expansion/002896.php

《寛容性のある暮らし》

《寛容性のある暮らし》
神山における移住関係者の寛容性は素晴らしい。偶然出会った時のレスポンスがいいから、つながりが広がりやすい。そして、偶然の出会いにワクワクできる。こういった受け入れにたいする寛容性というのが、小さなコミュニティを往き来するコネクターを活発化させ、まるで呼吸するかのように街に人が交流でき、より交流を活発化させる。

いつからかうちには少なくなってきている、この寛容性。人口減少に伴う個人負担(例 草刈り範囲が増えるなど)が増えて忙しくなり、ヨソモノ、バカモノとコネクターとの間にさける時間的余裕が減ってきたのが構造的課題。なかなか悩ましい話です。

適度な暇をもて余す。

寛容性を考える上では大事だなあと思います。
街づくりの人類学

《休暇の読書》

《休暇の読書》
久しぶりの読書。ベーシックインカムがよくわかる「隸続なき道」が面白い。まさかニクソンがやろうとしていたこと、それを阻んだイギリスのスピーナムランド制度など、歴史や実証実験の話もあり、とても分かりやすい。うわさでは、作者はロビストとして意図的に仕掛けているとも言われているが、それも含めて面白い。ソトコトも後で読もう🎵
https://m.facebook.com/bunshun.online/posts/1782833092027698

<御礼と精進の方向性>

<御礼と精進の方向性>
 今日は、各界の先達のみなさんのまえで、公共不動産のリノベーションについてお話をさせていただきました。
 「偶然の産物ではなく、科学的な街おこしを」といいつつ、おおざっぱな狩猟系、遊牧系、農耕系の分類方法や、ロジックの進め方、アイデアのほうに気持ちが行き過ぎて、一つ間違えば、大きな誤解を生むこと。また、いろいろなアイデアで街づくりを行っているが、誰のための街づくりなのか、誰が望んだ街づくりなのか、その意思決定の主体はいかに、と本質的な質問をいただきました。反省というより、プレイヤーとしての行動優先主義の批判については、とても意義深い学びでした。

 まだまだ、自分の科学的な街づくりというのは、検証に耐えうるものではありませんが、こういう営みを通じてしか学べない貴重な場となりました。お招きいただいた辻田先生はじめ、大学関係者のみなさま、パネリストのみなさま、来場いただきました皆様ありがとうございました^^

《概念探究学習法に思いをはせる》 

20年以上前に学んだ内容がバカロレアとして復活したり、ジグソー学習法として盛んになったり。あの頃の猛勉強が未だに役にたっていることを思いつつ、言葉は変えるものの、結局、教育史や授業論の蓄積を活かしきれていない、というか進歩の遅い教育のスピードにもいらだちも覚えつつ。最近思うのが、もう一度最初の指導要領が掲げていた問題解決学習法が、まさにソーシャルデザインだなと感じます。戦後の、生活そのものの地域課題に取り組むという問題解決学習から、人口減少による新たな街のデザインをするというプロセスは、ネオ問題解決学習の予感を感じさせます。

<スガシカオ「午後のパレード」と地域再生の課題>

 最近地域再生の課題をいろいろ考えるなかで、2006年のアルバム「parade」のラスト「午後のパレード」を思い出します。   
◎動画 https://www.youtube.com/watch?v=xzPfu2VnKXw
◎「午後のパレード」の歌詞
 http://j-lyric.net/artist/a000655/l0091fc.html

 街づくりの黎明期から成長期にかけて、祭りのように楽しく、何か楽しい未来が続いてくれそうな、そんな狂騒に耽ることができます。が、急激な成長期の中で、第一世代の移住者と第二世代以降のn世代の移住者との距離感が生まれてきます。いつのまにか、地域住民と第一世代の移住者の間で生まれた「祭りの一体感」みたいなものが、見知らぬ顔のn世代の移住者の思う、そして作ろうとする「n人が思う街の理想像」とずれがどんどん生まれたり。

 本来、「n人が思う街の理想像」というのが常態なはずですが、街づくり黎明期から成長期にかけて生み出された「街の理想像」が魅力を生み、一体感が生まれたが故に、のちに入ってくる人との間に生じる「バラバラ感」。

 このずれを修正できる社会装置というか仕組みをもって、成熟期に向かわないと、このずれが「しらけ」を生み出したり、個々の街づくりの小宇宙がたくさんできることで、街づくりの一体感が薄まりやすいことが起きます。
 
 とはいえ、このずれが「多様性」であり、「n人の描く街づくり」こそがクリエイティブの証でもあるように思います。が、この多様性に耐えられないのは、「一体感=祭り」が一瞬のきらめきであるということへの認識ができてないことから生まれるものかもしれないなと思っています。
 
 そこで、この祭りの高揚感を得ようと「祭り=イベント」を誰もがやりたがるわけなのですが、すべての人が参加しなければならないもの、「n人を束ねるもの」でなければ「祭り」ではありませんん。だから、祭りでない祭りが繰り返し行われることになるんですが、結果的に、それぞれの街づくり小集団での祭りになるので、より互いの溝を深める結果になっていきます。

 しかし、これが都市化というか、人口が増えていく現象なのだととらえているので、ボク自身は「バラバラ=常態」というふうにとらえています。

 そして、この「バラバラ感」を肯定的にとらえて、お互いの「街づくり小集団」がともに意識しあい、狂騒だけでなく共創できる関係性につなげていく。

 このマネジメントが「街づくりのかなめ」になってくると思っています。この仕組みがなければ、街づくりは持続可能なものになりません。
 
 こんな思いを、いつも「午後のパレード」を聞きながら、歌詞を聞きながら、考えてしまいます。

<スローフードまとめー感想ー>

 おはようございます。修道院ホテルでの生活のためか、早起きになじんでしまったおにぴです^^

 さて、10日間にわたる日本とイタリアでの濃密な体験。まずは、全体を振り返ってみて、そこから各個別の話に行きたいと思います。

 しかし、最初にぶっちゃけていってしまえば、”めちゃくちゃいい体験だった”ということです。そして、ボクが思っている街づくりの方向性と課題。これは当たりまえのことでもあるし、最先端の課題だとも確信できました。

 朝から飛び切りうまいコーヒーを飲んで書き始めました。この深煎りのコーヒー豆は日本の千葉で活躍している小澤陽佑
https://www.facebook.com/aka.oja?fref=ts
からもらったもの。深煎りなのに、必要以上に濃さを感じさせない。彼の仕事ぶりが伝わるコーヒーです。

 帰ってきたから、振り返ってみて、やっぱり血が騒ぎだしましたた、熱くなりました。シンプルですけど、やっぱり、まじめに生きている人間の力はすごいなあと。ビジネス書で安易に、売れるには物語が必要だなんていうことばがうさん臭くなるぐらい、本物には本物の過程があるんですよね。この本物の過程を経てきているから、物語が生まれる。ある意味、本物のものづくりって「神話」なんですよね。土づくり、海づくりに邁進するローカルな人たちが紡いだ”仕事”なんですよね。まさに、神話にふれた10日間でした。
  

(1)なぜスローフードに・・・
  最初は単純な話で、佐賀の友人鳥谷憲樹https://www.facebook.com/toriya.kazukiから「いってみたらいいですよ」というお誘いから。最初は聞いたことあるけど、スローフードってなんだろうぐらいの感覚。正直、行くと決まった前後の審査プロセスも、受け取ったmailの段取り見ても、まあ、ざっくり感漂うもので笑、非常に気楽に考えていたというのも正直なところでした。また、後々にその理由もわかるのですが、事務局とほかの人とのメールのやり取りなどを見ていても、盛り上がるわけでもなく笑。まあ、正直、自分で期待値を上げていくしかないなあという感じでした。

 渡航に際しては、二つの観点でみていて、一つは、アグリツーリズムなどに代表される「暮らし方そのものを観光素材にする」発想を体感してくることでした。
 ビジネスになる観光素材の多くは、①オンリーワンな自然、②金持ち、権力者の遺産。③特産物。この3つにほぼ集約されるのではないかと思っています。しかし、8~9割がたの街というのは、オンリーワンなエリアも持たず、遺産もなく、ただ沢山採れる特産物があるだけという事情だと思います。そうなると、①②③ともに持ったエリアとは違う発想でいかないといけない、それでいて、”地元にある”もの。そこで生み出されるものというのを考えていく上で、「暮らし方」そのもの、そこで済むそれぞれの人の「生き方」そのものを観光素材になっていくようにすることが、一番の観光の良さだろうなと考えていたので、その先進地でもあるイタリアで学んでみたいなというのがありました。

 二つ目に、街づくりの観点から見たときに、単独自治体での勝負を繰り返しても意味ないなというのが現時点での思いです。一つには、人口減少は日本全体で起きていることで、元気な単独自治体が数パーセントできたところで、問題解決にはつながりません。それよりは、自治体連携、民間連携をどんどん増やし、元気なエリアを広げていくことしか、最終的には方法がないのかなと思っています。
 この発想をもとに、昨年は地元にいないで外にばかり出ていき続けたことで、地元での成果が出ず、町から委託事業の継続破棄寸前までいきましたけど、自分の解決方向としては、この方向でしか、根本解決していかないと思っています。
 そのなかで、大事なのは、パートナーを組める人、地域です。点だけで考えるのでなく、点と点を結び、その間の関係性=魅力をどんどん互いに交流させて、うねりを生み出していく、新陳代謝を常に生む、よどみを起こさせない仕組みにしていかなければ、たぶん、圧倒的なリーダー台頭を願ったり、だれもが無責任に「なんもしないことがメリット」になるような地域や組織を作ってもだめだろうと。

 今思えば、こういった思いでみてましたけど、本当に、期待値なかったです笑。

 渡航前に日本代表団のメンバー表みて、面白そうだなあとは思ったものの、スローフードそのものには、今一つ手ごたえを感じるものがありませんでした。

<続く>

テッラ・マードレ= サローネ・デルグスト2016の

<おにぴのヒトサラGO出現エリア>

 7月28ー8月1日 徳島エリア
 8月2日 名古屋エリア出現
     (名鉄周辺で飲んでいます合流可)

 8月3日 東京・新橋エリア出現
     (昼から夕方空いてます)  
 8月4-9日 宮城県女川町エリア
      (ずっといつでも)
 8月9日 東京駅エリア(飛行機にのるまで)
 8月10-25日 上勝・徳島エリア
    *ゲストハウスの清掃、インターン受け入れなど
     ありますが、確実に会えます。
     帰省のみなさまぜひ。
 8月26日 東京駅周辺エリア(講演時間以外は)
 8月27日 東京エリア(どフリーです)
という感じです。 

<街づくりの硬直性と交換>

<街づくりの硬直性と交換>
どうしてもプレイヤーの少ない場所だと同じ人間の脳内アイデアを形にすることが多くなるので、ある意味、成熟化と硬直化が同時におきはじめる。

そうなると、意図的に硬直化(ある意味統一性があるといってもいいんだけれども)を壊していくように、

①人の流動性を高めて風通しを良くすること

②一人一人が疲れないようにすること

③考えをオープンソースにすること。

そして何よりも

④プレイヤー同士が、互いの人脈をシェアする事。

昔学んだハーバーマスを思い出してきた。
いまやつているひとさらいの旅も、自分そのものの風通しをよくし、自分自身をシェアし、される《装置》として機能させる取り組みでもあります。

<田舎にはプレイングマネージャーが良く似合う>

  ここ最近の地方創生議論において、実は 論者の出生地(平野か山間部か離島かなど)や 「地方」についてのイメージの差が、結果的に 大きく左右しているという内容をいくつか書き ました。  

ロジックとして考えれば、  

①全国津々浦々を公平な環境にするためにお金を使った。→成長期ではよかったことだろうと思います。  

↓  

②ところが維持費であったり、無駄な投資も たくさんしすぎたために、もうお金がないー

↓  

③お金がないときは「使う」ほうがいい。   

 経済はお金を使ってまわすもんだから。 (お金は実態でなく、使った「量」だと いう話)

 いや、「使わない」ほうがいいよ。 使わないでも生きられる方法あるだろう。   

 どっち選ぶ?   

 (いまここの感じ)

 

すごい大雑把ですけど、そんな感じではないかと。

++++++++++++++++++++

この二つの狭間のなかで、地方という存在は、

二手に割かれています。

++++++++++++++++++++

 

人口30万以上の都市だと、コンパクトにして コスト下げながら、

大きな経済の流れについてい かざるを得ないし、利益を生み出して、

財務を よくする企業的なアプローチが有効だと思います。

ところが、その周辺に存在する小さな自治体に なると、条件不利地であるから、

儲けることが とたんに難度が上がる。

だから、小さな自治体は、特殊解(そこでしか できないこと)を生もうと必死に

努力している と。

まさに地方は東京のように、ビジネスをどんどん できる体制になるように求められるし、

しかし 同じ行政区域内(県)には、たくさんのビジネス 条件不利地域の過疎があり、

過疎では、経済とは 異なる「働き方」「暮らし方」などの方向で 生き残りをかけ、

価値観そのものも相反した ベクトルでひっぱられると。

 

相反するベクトルの綱引きのなかで、 どういう処方箋が必要なのか、

非常に 難しい現状です。

 

***

そういう特殊解を求める「田舎」なんですが、 求める人材像と活躍できる人材に

はずれがあります。 というのは、特殊解を生み出すことができる 人材は、

田舎では本来「受け入れられにくい」 人物であるはずですし、田舎では理解

しがたい ことを次々と行動できる人でないと、特殊解 を生むなんて荒業は

とてもできません。

が、田舎で活躍するためには、特殊を追いかける 人物にも、等しく「プレイヤー」

であることを 望みます。つまり、そこに住み、そこで仕事し みんなが「動いている」

のがわかりやすい人物を 望みます。

 

++++++++++++++++++++++++

こうなると、問題は、企画をしながら、田舎の なかで動き回る、

外から見ていて、努力がわかり やすい「プレイングマネージャー」

であることを 求められるのです。

++++++++++++++++++++++++

 

しかし、野球の世界でもプレイングマネージャーが うまくいったためしが

ほとんどないことからも わかるように、両方をバランスよくやるというのは

監督と選手の両方をやれという荒業を要求している に等しいのです。

監督は監督の仕事を、選手は選手の仕事を役割と してする分業が

やはり必要な気がします。 が、実際の多くの地域で必要としているのは、

まさに、そういう人なんですが、実際にやっている人たちはみんな消耗し、

疲れ切る時期がもう少しできているように 思います。

プレイングマネージャーをやればやるほど、 企業人として業績をのばすほうに

シフトしていくか (マネージャー(監督)側へ)、それとも、 街づくりとして、

プレイヤーに徹して地域に 入り込んでいくことを望むのか。

 

どちらを選んだとしても、マネージャーになれば 住民から動きが見えなくなり、

うわさやまわりまわった 情報で理解されるようになるので、孤独に陥るし、

プレイヤーになっていけば、当然、企画を考える 時間は無くなる。

 

だからこそ、いかに、人を消耗させない 街づくりと経済を生み出す仕組みを

考えないと 非常に問題が大きい。

<長老型とベンチャー型の街づくり>

 地元の長老が「よっしゃよっしゃ」「やりなはれ」と
いって、大きな目標の設定とサポートに回る長老型街
づくり。例は、海士と神山。

 起業家精神に富む首長や街づくりのトップがけん引
していくベンチャー型街づくり。
 例は、武雄や福岡市など。
 
 日本には長老や殿がプレイヤーに回るより、
みこしに担がれるぐらいがちょうど
いいのかもしれないなあと。

 結果的に上の事例のところはそうなりつつ
ありますけど、<長老+ベンチャー型>が過疎の
街づくりでは、定式なのかなあ。

 ①長老(自治体)+ベンチャー(民間)
 ②ベンチャー(自治体)+長老(民間) 

第三の道というか、理想は、
**********************
 ③ベンチャー(自治体)+ベンチャー(民間)
  +長老(サポート)
********************** 

による街づくりなのですが、ここをちょっと狙って
みたい気がしますよね笑。

 僕の教育の理想は、ピッコロの最長老なので、
長老ポジ目指したいです^^

 

<地方創生論ははだかの王様化しつつある>

 

<前編>
 本日のおともの本。
 
 「地域再生の失敗学」
 
 おおよそ、地方創生ブームの裏側が出版されつくして
きました。
 おおよそ、補助金が投資でなくて、使い切り。維持費を
考えない非ビジネス設計。土建国家と仕組みが同じ、補助金
漬けの新たな土建構造類似型ビジネスになどなど。

 現場のプレイヤーから見れば、当たり前の直視している
現実が見え隠れしています。

 とはいえ、本を書いている人の80%はうなづけるものの
(分析部分はほぼ当たっています)が、残り20%の提案
部分がなんとなく、うなづけないところがあります。
 *この本がというよりも、どの本も同じ傾向に。

 批判を返してこない公務員批判であったり、政府の政策
批判とMBA講座みたいなビジネス処方箋。

 原因がわかっても、どういう薬を打てばいいのか、
本当のところは、それぞれの人口規模や近隣都市の力加減、
町がどのような文化、産業、教育ステージにたっているの
かなどによって、かなり変わっています。

 そして、そもそも論ではありますが、産業を生むに
あたって、それほど合理性の高くない場所から順番に
人口が減ってるわけであって、ビジネスという処方箋が
効きやすいとも限りません。

 そういう意味では、県庁所在地などの地方中枢都市以外の
人口規模の多くない地方零細エリアというのは、もともと
産業構造そのものが脆弱ですので、「依存体質になりやすい」
わけです。

 
 そういうわけで、何かしらのビジネスを考えるならば、
かつての発展途上国のように、モノカルチャーというか、
その土地の特性を活かした一点突破的な産業づくりを
少なからずやらなければなりません。

  が、モノカルチャー経済の特徴としては、外部環境に
影響を受けやすいという性格があるので、自立しようが
補助金であろうがどっちにしても外部環境の影響を色濃く
受けるわけです。

 結局のところ、平野(都市)で育ったビジネス観と、
山間・島(過疎)で育ったビジネス観では、かなり
大きな違いがあるような気がしてなりません。

 そういう意味では、論者が平野出身者か、山間・島
出身者かというのも、論の根底イメージに影響を与えて
いるように思います。

 
 そして、これらの話を突き詰めると、人口減少社会
では、平野に住め論(コンパクトシティ)にいきつく
わけでして。

 地方創生をやっているプレイヤーは、こういった
本で刺激を受けているわけですが、同じ刃の返しで
かなり厳しい状況が待ち受けているのは間違いあり
ません。

 最小コストのインフラ整備の費用を割り出し、
行政コストの最適化をしつつ、どうやって生き残って
行くのか、切実な争いが今後生まれてきそうな気が
します。

<後編>

今日も何冊かななめ読みしています。
 
 地方創生論のいろいろな本。

 こういうのが出てくる時点で、やっぱりブーム
なんでしょう。

 しかし。

 読めば読むほど、紹介している成功例というのは
財務諸表みればそうでないことが一目瞭然ですし、
経済的に成功している事例をみても、それは企業
としての成功事例であって、街づくりの成功事例
ではないような気がします。
*ここが大きなポイントでして。

また、分析をしにきた識者はデータやヒアリングの
恩義があって本当の姿を描くことがかなわない、
道義上の問題を抱えます。

また、現場を見ることがほとんどない識者の、
マスで議論するパターンでは、マクロな問題設定で
見るがゆえに、ミクロな現実が見えにくくなるし、
リアルな処方箋に思えません。

現代版「姥捨て山」の議論の延長です^^

 どっちの論にしても、実態は「伝わらない」し、
「伝えられることはない」という結果になっている
気がします。。。

 いつまでたっても、大本営発表の構造が抜けきれて
いないわけでして。

 いやあ、どうしたらいいんでしょうかね笑

 過疎がまだらに消滅していくなかで、
大多数が「平野の住人」ですので、民主主義の
原則にのっとれば、時間の問題で、「平野の論理」
で物事は決まっていきます。

 こういうほんとの議論を、どこでしたらいいん
ですかねー 

<久しぶりに会いました>

とある一本の友人からの電話で、樋渡社中の樋渡さんの講演会を知る。

急いでいって、このショット^^

來徳ありがとうございました^^IMG_2697 (3)

 

 

<最近つくづく学んだこと>

<最近つくづく学んだこと>
①有名先進地域とほかの差
広報力の差でしかないなと思うほど、いい
地域も実は多い。目立つが価値の部分もあり
かなと。
②恵まれた地域ほど、努力ができない。
産業及び観光資源のある好立地地域は、努力
しない。努力せずにあぶく銭を一度でも体験
した世代がいるところほど、動けない。
③危機感をもてというのは無理な話。
危機感をもっていない人に危機意識を持たせる
のは無理。危機になるから意識が変わる。
危機よりもワクワク感で攻めるほかなし。
④リスクをしょったことない人ほど、管理に
走り、リスクを負ったことがある人ほど
ゆだねることを知っている。

 管理していれば仕事をしているように思うが、
管理しても何も生まれていないなら、管理
するだけ無駄。管理よりも提案主義で街は
変わる。
⑤女性の活躍していない街は成り立たない。
男性脳での街づくりがおこなわれているところ
程、隙間のない町、サードプレイスのない街。
⑥個が強すぎると地域は成り立たない。
ベッドタウンで、急激に人口が増加し、共通の
地域愛もつながりもできないうちに形ができて
しまった地域での話。
対話するにもみんなそれぞれ意見が強すぎて、
まとまらず、妥協妥協できたせいで、結局
その後何にもできない、ただひたすら愚痴の
でるノークリエイティブ都市の誕生。
⑦街に必要な存在。
・通訳者(内と外、男女など、異世界を言語で説明
できる人)
・コネクター(ふらふらと人と人の間を行きかう、
つなぐ人)
が実に大事。街にとっての”ひも”みたいな存在が
余白をうろうろしてくれるだけで、街は面白くなる。
街には、ぶらぶらとしている人が大事。
ボクが思うに、次はプロデューサー
(まとめる人)を必要としない街づくりも
検討したいなと。なかなかまとめられる人が
出てこない地域がはほとんどなので、
それ抜きに仕組みとして何かできないか
思案したいです。

<ボクラハ ドコヘ ムカウノカ?②>

全国いたるところの<郊外>は、まるで
何か同じものを模倣したかのように、似ている。
一つとして同じ配置になっていないにも関わらず、
総て同じような雰囲気を持っている。

 なんで似たんだろうか、謎でした。

***

郊外は、地方の人にとって、便利な<東京そのもの>
だったんだなと今になってわかる。

猥雑な看板、でたらめな街の構成。。。。

都会でしか手に入らない、魅力的で便利で
欲しかったものが溢れるところ。

すべて、魅力のある都会=東京を手に入れるための
代償行為であり、郊外は、田舎の人にとっての
お手軽に獲得できた<リトルTOKYO>だったんだなあと。

しかし、これからの街づくりで、<リトルTOKYO>
を再生、復活させるのがゴールなのか?

+++++++++++++++++++++++
ボクラハ リトルTOKYO ヲ カソニ
モチコモウト シテイルダケデハナイノカ?
+++++++++++++++++++++++

東京で見るような、お洒落な場所や建物を作り
<代償行為としての都市化>を進めているに
過ぎないのではないか?
*おしゃれな場所や建物が希少性のある場合は、
まったく問題ないのに、集積しだすと、お洒落な
街並みが逆に田園風景となじまなくなったり、
ほかの都市と似通ってくる可能性があるという
意味です。

これは新たな郊外を過疎に作ろうとする
レジスタンスに過ぎないのではないのか?

いったん、落ち着いて考えてみよう。

急がば回れ。 スライド1 スライド2

<田舎のフローバル化を阻むもの~過疎版EUを作りたい~>

いろいろ先進地域を含め、視察見学遊びに行きまく
っているなかで、ほんとうに、近隣同士のエリア間
協力が薄いです。

もう人口減少時代でやることは、
*****************
<呉越同舟と合従連衡>です^^
*****************

+++
呉越同舟とは、
仲の悪い者同士が一所にいる、または共通の目標で
協力すること。
+++
合従連衡とは、そのときの利害に従って、他と結び
ついたり離れたりすること。 また、時勢に応じて
巧みに計略をめぐらす政策、特に外交政策のこと。
+++

意外と自分が博愛主義者なのに気が付きましたが、
人口減少時代において、敵と味方なんか、もうどうでも
いいんです笑 異なる文化をもつ同士でありながら、
そこをうまく引き合わせる思考が大事です。

たぶん、仲良くすることが第一義のように思われる
かもしれませんが、僕自身は、仲が良ければ一番いい
けれども、仲の良しあし超えて、協力せざるを得ない
ということをきちんと理解できる、理性を持った協力
のほうが長続きするように思います。

例えば、いま先進的取り組みで有名なところ
たくさんありますが、その隣の町とはどうでしょう?

ボクの知っている限り、それほど密にできている
ようには思えませんが、EUみたいな取り組みは
田舎間ならできるような気がしています。

観光連携は比較的進んでいるんですが、教育連携、
住宅連携、商業連携などなど、いろいろできる
ことたくさんあります。

また、町おこしのノウハウも、草創期・死の谷・
成長期・成熟期・衰退期のそれぞれの時期ごとの
ノウハウがあります。人口別でも、5000人以下、
5万人以下、10万人以下でやはり変わってきます。

そのノウハウをもっと丁寧に共有しないと、
無駄のオンパレードです。

組むべきは近くの隣人、学ぶは遠くの先達。

https://www.youtube.com/watch?v=W3NBL51hDyY

過疎論を考える<ボクラハ ドコヘ ムカウノカ?>


過疎の町を、コンビニやスーパーができて、
映画館に図書館のある普通の町にすること。

これが、地方創生か?

どこに我々は向かおうとしていくのか。

観光地を核とした観光都市。
門前町を軸とした宗教都市。
工場を核とした工業都市。
大学などを軸とした研究都市。
・・・・

いま、僕らが住む街を、中途半端になんでも
そろう街にしてしまうことが、もし誤った再生で
創生でないならば、

①どんな機能が再生され、かつ新しくなればいい?
②何と何が見たされば、魅力のある街になると
いうのか?
③どこまで人数が増えれば、ミニマムに再生できたと
いえる人口なのか?

今度、しゃべる講演の核の一つの過疎論問い。

<続き 都会だから不幸ではない>

前回の記事で、田舎が目指すのは、GNH(幸福量)を
増やせ、そのためのイノベーションを起こさねばという
話でした、端的にいえば笑

 しかし、じゃあなんで若者が都会に行くかといえば、
田舎がつまらなく、閉塞的で、魅力的ではないからで、
日々メディアに見る<TOKYO>が都会が魅力あるように
思うわけです。

また、勉強ができる子ほど、野心がある子ほど、
上に行きたいので、当然都会を指向します。

考えれば、当たり前のことで、都会は楽しく
魅惑のある場所なんです笑

ということは、都会だって、面白くて幸福度数も
高いんです。

じゃあ田舎と都会の幸福度は同じ質のものか。
そして量は?

当然、「質」は違います。

消費によって幸福を感じることができるものが
たくさんあるのは、もちろん<都会>です。

そして、選択数が多いということは、「量」も多い
というころです。

しかし、決定的に抜け落ちているのは、
<田舎が持っている幸福の質>です。

つまり、コンクリートジャングルがもたらす環境。
里山里海がもたらす環境。この違いがもたらす
環境差。これが幸福の質と量の差異を決定づける要素
になります。

だから、田舎は自然がもたらす幸福度の高さが
一つの強みです。
*しかし、これは田舎と都会の両方を経験しないと
差異がわかりません。ですので田舎しか知らない
子供は都会を目指し、都会しか知らない子供は
田舎を物珍しく思えるのです。

とはいえ、国土の7割が山で、海に囲まれた日本で
自然は、都会以外にありふれているものです。

ですので、自然がもたらす幸福度数というのは、
田舎同士を比べてみても、それほど変わりません。

つまり、団栗の背比べ程度の差でしかありません。

また、特別に美しいところは、すでに観光化されて
おり、ここも違った意味で、田舎ではありません。

ということは、田舎の幸福度数を高めていくに
あたって、この<どこにでもある自然>を前提に
どのような幸福度の質と量を高めていくのか、
そこにアイデアと戦略性をいれていく必要がある
のです。ここが地方創生の<キモ>になります。

もう一つ、都会と田舎の違いであげられるのは、
<人情>です。

けれども、都会にも田舎にもいい人はいるし、
わるい人もいます。田舎には、外からくる人を
毛嫌いするところだってあります。

そういう意味では、人も等価です。

では何が都会の人の心をくすぐっているかといえば、
<異文化同一民族>の持つホスピタリティなわけです。

田舎の多くは<方言>を用い、都会にはない<祭り>
や<風習>があります。つまりは、<異文化>なわけ
です。

とすれば、異文化をどれだけ押すことができるのか、
異文化を演出できるのか、そこに人情味をより活かす
ポイントがあります。

しかし、ただの異文化ではまったく意味がありません。

というのも、若者が、時間軸で遠い異文化である
歌舞伎や狂言などに興味をビシバシ感じるかといえば
ほとんどの子が持てません。国語で学ぶ古文や漢文に
興味をいきなり持てないのと同じようなイメージです。

とすれば、異文化同士でありながら、何かしら、
<興味を持つ>ための仕掛けがないといけません。

つまりは、都会の人にもわかりやすい<通訳>する
作用をもつものを間にはめなければなりません。

それの一つが、<かっこよさ>だと考えています。

例えば、異文化の英語を使うことを<かっこよさ>と
感じています。
お店の名前だったり、お客様のことをクライアントと
いったり、ゲストといったり。クラウドファンディングや
インフルエンサーだとか、まあ、いろいろあります。
*ひらがなで書くと、またダサくなるのもおもしろくて
くらいあんと・げすと・くらうどふぁんでぃんぐって
書いてみるとよくわかると思います笑

つまり、かっこいいと認識すると、その異文化を
取り込もう、身に着けよう、触れてみようと考える
習性にあります。これは日本だけでなくて、漢字が
他国の人にとって、かっこよく見えるのと同じです。

つまり、<かっこいい>と思えるかどうか、自分の
価値を引き上げるものであるかどうか、そういう観点で
我々は、異文化を消費しようとします。

とすれば、田舎文化を<かっこよくさせる>。

これが、一つの解法のように思います。

例えば、全国の田舎で受け入れられている
古民家リノベーション物件などを思い出してみて
ください。

どこもデザイン性の高い<かっこいい>ものが受け
入れられているはずです。

しかし、このかっこよさも、かっこいいだけを
都会と同じようにやっても、ダメです。

異文化 + かっこよさ + 人情味

この方程式です。

田舎に求めるのは、都会にはない、濃密な
コミュニケーションです。

そして田舎の人が持っている<よそ者への優しさ>。

もし、東京のおしゃれなお店がそのまま移築して、
マクドナルドのような接客をしても、たぶん、山奥の
田舎ではウケないと思います。

さて、復習です。

田舎が都会と異なる幸福度数を高める意味で、

+++++++++++++++++++++++
<自然>+<異文化>+<かっこよさ>+<人情味>
+++++++++++++++++++++++

この方程式を上手にいかすことが、ボクにとっての
一つの地方創生方程式です。

ただし、これをイベント(=非日常)でやるので
なく、日常化させておくのがポイントです。

地方創生の方程式は、日常を非日常化させる<祭り化>
ではなく、非日常を日常化させる<祭りの日常化>という
試みです。

多くの先進地域は毎週のように毎日のように、何かしら
イベントがあったり、人が溢れていたり、つまりは、
<日常=非日常>になっています、ほかのエリアに比べると。

そういう意味では、イベントを町おこしと考える
手法はボクにとっては<地域活性>ではあっても、
<地方創生>ではないです。
例えば阿波踊りみたいに4日間110万人訪れたとして活性化
したとしても、残りの361日がダメならば、それは地方創生
じゃないという考え方です。

つまりは、地方創生というのは、田舎の文化をより
成熟した異文化として日常を変えていくものだと思う
のです。

ですから、僕が取り組んできた、シェアハウス、シェア
カフェ、シェアバー、ゲストハウス、古民家レストラン
などはすべて<日常を変える装置>です。

cafeのなかった街にカフェができ、レストランとゲスト
ハウスができることで、街の雰囲気が変わる。また、
この数年で新規事業がどんどん生まれる文化になって
きました。

こういう日常の営みを切り替えていくことが、
ボクにとっての地域再生方程式の土台です。

<資本主義の成熟化の2方向>

IT系の会社の動きをみていると、より世界をフラットに
国境をなくす方向に動き、僕らのようなスモールビジネスの
世界では、地域に密着していこうと逆の動きに成熟度を
増そうとしている。

どっちが強いかといえば、圧倒的にIT系の動きで、
ネットによって、より強いもの同士の組み合わせが
できやすくなり、その恩恵を田舎でもかなり受ける
ことができる社会になり、ありがたい。

Amazonや楽天を使えば、いくらでも物は買える。
googleのおかげで情報も入手しやすい。
またフェイスブックなどのSNSのおかげで口コミが
可視化しやすくなり、上勝のような田舎のほうでも
飲食店が成り立ちやすい環境もそろった。
また、神山のようにサテライトオフィスという
やりかたで、どこでもいつでも仕事ができる環境も
生まれ、成熟した働き方も田舎でできるようになった。

資本主義の異なる2種類の成熟化があれども、
これまでの小さな家業、中小企業のスタイルにも、
その融合がやりやすくなったといえる。

その反面、強いもの同士の結合が、より格差を
産みやすくなるのは当然の理屈で、ピケティの論を
またずとも、実感として感じられるぐらいまで
広がろうとしている。

よりビジネスにおいて強者になりやすいのは
質の高い長時間労働できる人材で、これは独身者の
ほうが適している。家族においても、経済的強者こそ
昔ながらの男は働き、女が子育てするという仕組みが
成り立ちやすく、夫婦共働きで子育てコストがかかる
ならば、一人っ子でいいかなと思いやすい環境ができ
あがる。また、究極の青田刈りで、若年期での勝者を
優遇する教育評価制度になっているために、より一人の
子供に教育費を投入し、勝ち抜けできるように親の
心理は働くために、少数精鋭型の家族環境を作るように
なりやすい。
また、個人の消費を最大化させようとする資本主義の
進化の方向性では、個人が満足しやすいように環境が
できあがっていくので、当然ながら、独り者でいる
ほうが消費サービスを受けやすい。

こういうふうな仕組みになっているので、少子化を
脱するのは難しいので、勝者の定義を変える方向に
かじをもう一つ用意する必要があって、経済的幸福
よりも<違う幸せ>があるのだという方向に舵を
僕らはとろうとしている。

つまり、田舎でやるべき戦略は、経済的幸福の
正反対の幸福ブランディングで書き直しを行うこと。
ある一定の経済的幸福の上限を決めて、必要
以上に競争に巻き込まれないようにし、幸福係数を
最大化させるように動くやり方である。

わかりやすくいえば、年収700万もらって満員電車
で通い、競争にさらされ働くために生きるよりも、
年収350万で、田園・里山でゆったりやりたいことで
暮らす生き方をするといった考え方。

イケダハヤトさんがよくいっている、「いつまで
東京で消耗しているの?」っていう幸福定義の
書き直し戦略がその好例だ。

ところが、頭のいい人はこの戦略の穴を見抜いていて、
<安定し、かつそこそこいい給料のいい>公務員を田舎で
目指すようになるわけで。

これがいまも続く、田舎の勝ち抜け戦略<目指せ公務員
理論>。

ここをできれば崩していきたいんですよね笑

<不安定だけど、都会並みに儲かる>
<安定して、都会並みに儲かる>

これもう少し言い方変えると、
<幸福で、都会並みに儲かる方程式>を
いかに作るかが、次の一歩にかかっているのかなと。
そのなかで、幸福を妨げるような競争や、長時間
労働すぎるのではだめだし、儲けたけど不幸というの
じゃ、意味がない笑。

だから、まずはビジネスとしてきちんと儲けられる
アプローチをきっちりやりたいし、なおかつ、家族に
なって子供を産むのが楽しくてしょうがない環境を
どのように作ればいいのかを組み立てなければならない。

と、ここまで書いてみましたけど、何が言いたいかって。

ようは、いろどりビジネスって、この幸福で都会並み
に儲かる仕組みが作れそうな、あと一歩まで来ている
ビジネスなんですよね、

ただ、妻ものの全体市場が3億円で、おおよその上限が
決まっており、全員が全員、メディアでよく聞くような、
年収1千万になんてなることはないし、スキルと資産の
蓄積がものをいう農業の本質から言うと、新規参入者は
儲かりにくい構造です。

だから、ここの課題をどうやって突破できるのか。

幸福でやりがいあるけど、若い家族がまねできない
ビジネスじゃだめ。
幸福でやりがいあるけど、貧乏では、あとが続かない。

さあて、ここからどうやって、幸福でかつ稼げる
ロジックを組み立てられるか。

実におもしろい^^

*ここまで書いたのは、自分の今後の事業戦略の
整理です笑

<「やりっぱなし地方創生」というタブー>

地方創生というブームの前から、なんだかんだと

先進地域をはじめ、いろいろ勉強しているんですが
結果的に、やり始めの時は大きな声でメディアに乗り
あとは知らんぷりを決め込む「ワルモノ」も多い
ことに気が付きます。

仕掛け人「タブレット導入した。メディアに乗った。」
知らぬSNSの民「すごーーい。」

けど、いまは、使っていないとか。

仕掛け人「建物作った。めっちゃおしゃれ。」
地元じゃない民「かっこいーーーい。」

けど、いまでは赤字垂れ流し。

いまでもどこやかしこで、そういうプロジェクトが
有象無象にあるように思えます。

そういうプロジェクトを仕掛ける人々は、
おうおうにして、「デカイ話」が好きです。

「ハヤリもの」が好きです。

「メディア」が大好物です。

よくよく気を付けましょう。

仕掛け人の評価基準は、現在進行形で
「やりつづけている」かどうかです。

成果を出したように見せるのがうまい
劇団タイプの人は魅力的ですが、気を付けて
ください。

地方創生は、短距離でもあり、長距離でも
あります。

おにぴ拝

Fランクの徳島市w

http://news4vip.livedoor.biz/archives/52125388.html

2ちゃんねる、おもいっきり本音ベースで書かれているので、ある意味、

虚の多いメディアよりも、意見のやり取りはおもしろい。

都市圏以外の都市を勝手にランキング付けしたものですが、実に

ユニークです。

拠点性・経済的賑わい・交通(鉄道・道路・空路・航路)・教育(大学)・文化などをもとに、三大都市圏以外の主要都市の都会度を格付けしてみた。
なお、三大都市圏は首都圏(東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城南部)、京阪神圏(大阪・京都・兵庫・奈良・滋賀・和歌山)、名古屋圏(愛知・岐阜・三重)ね。
主要都市は画像も貼る予定。

S+ 福岡市
S 札幌市
A 仙台市 広島市
B 新潟市 静岡市 岡山市 北九州市 那覇市
C 宇都宮市 浜松市 金沢市 高松市 熊本市 鹿児島市
D 盛岡市 郡山市 高崎市 長野市 松山市 長崎市 大分市
E 函館市 旭川市 青森市 秋田市 山形市 福島市 水戸市 長岡市 松本市 沼津市 富山市 福山市 高知市 宮崎市
F 帯広市 八戸市 いわき市 前橋市 甲府市 福井市 倉敷市 下関市 米子市 松江市 徳島市 久留米市 佐賀市 佐世保市
G 釧路市 弘前市 伊勢崎市 太田市 日立市 上越市 富士市 呉市 山口市 鳥取市

ぜひみてくださいね

堤幸彦という人のおもしろさ

SPECをhuluでたまたま見た後、ケイゾク、TRICKと再視聴。

独特の映像構成。不可思議な世界。笑いのオマージュが満載。

面白いなあ。。
wikipedia堤幸彦https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%A4%E5%B9%B8%E5%BD%A6

ブログhttp://blog.goo.ne.jp/yukihikotsutsumi

 

<データでみると。。ホスピスが必要なんだな過疎には というお話。で、どううごく?>

http://agora-web.jp/archives/1660138.html
僕としては、
①予算ついたから消費している過疎自治体は残念ながら
無駄遣いといわれてもしょうがない。
実際にいくつか見かけます。。。
②消滅した後、都市も生き残れるかという問題には
ふれてない。
出生率の高い田舎が弱ると都会も弱るという点は
この記事では明らかにされていない。
③しかし、リアルに考えてみて、同じような地域再生
ネタの焼きまわしも多く、痛い指摘であるのは
間違いないわけで。

ほな、どうすんの? って話を12月19日に合宿
やりますよと,CMにはいるおにぴは、だめなオトナ笑

<ラグビー日本代表的地方創生論>

<ラグビー日本代表的地方創生論>
意識高い系オヤジの一言(笑

①日本人(地元民)だけでは強くならないという現実。
②適材適所に外国人(移住者)を入れる。
地域再生において、移住者を入れる場所はどこか。
③ゆるやかな代表選考(3年住めば地元代表とみなす)。
④物言うメンバーを大事にする。
(地元民、移住者問わず。しかし、地元民のほうが
インパクトも説得力もある)
⑤経験豊富な外国人監督を招く。
(町おこしのエキスパートを招く)
⑥代表合宿を行う。
(地元民と移住者の「合宿」を設定する)
⑦実践を多くつむ。(次年度スーパーラグビーに参戦)
失敗を恐れず、どんどん挑戦する機会を与える。
⑧勝利の方程式を作る(五郎丸のキック)。
バランスのかけたものであっても、「強み」を作る。
⑨明確な目標を設定し、逆算する。
⑩周囲が評価するための、勝利をつかむ。
*今回の勝利がなければ、ラグビーはほとんど
一部のヒトの注目で終わっていた。
→この勝利がなになのか。今までのところを見ていると、
全国区の基準は、産業では1億を超えること。
教育では、トップ校に入るなど。ようは、普通の物差しで
みてもすごいことを田舎がやれていることしか、だれも
評価できない。評価してくれない。

<環境都市ポートランドは衝撃的^^>

今後の未来を考えるうえで、greenz.jpの鈴木さんの話は、
ある意味、衝撃的であるし、わくわくする。

ボクは環境にはまったく興味がない、というか、自閉的な
話に陥りやすい、わくわく感のないエコなものにはなんと
なく距離を置きたくなるものがあった。

 そういう兆しを払拭する明るいエコというか、楽しそうな
エコを実践するポートランドやシアトルなどの事例を
学ばせてもらった。

いやあ、面白い。

「起業家育成関係資本」と「GH2」だな

<来年度は、「起業家育成関係資本」と
「GH2」だなと思う今日この頃>

街づくりではおなじみの「社会関係資本(ソーシャル
キャピタル)」がある町が、いい街だというのを判断する
ものさしとして、よく知られています。

社会関係資本とは、
**
ソーシャル・キャピタルとは、人々の協調行動を活発にすることによって、社会の効率性を高めることのできる、「信頼」「規範」「ネットワーク」といった社会的仕組みの特徴」
******
とされています。

 こういうベースを作っていく際に大事なのは、

①社会の「余白(アソビ部分)」を動ける人の存在と
活躍できる場所があること。
*余白とは、地域で役割がすでにある人や居場所で
なくて、役割も居場所もふわふわとしている状態
の人と活躍できそうなばしょ。
②余白を受け入れる地元民の寛容性
③余白を支え、後押しできる「人」「もの」「かね」
「場所」がある。

の3つが大事で、その起業家育成バージョンが、
「起業家育成関係資本」とでもいえるようなものが
ありうるのかなと考えています。

ボクがやってきたシェアハウス、シェアカフェ、
シェアバーというのは、そういう仕掛けであったように
思います。

こういう仕掛けが機能し始めると、「自分でも
何かしたい」「やれそう」という空気が出てきます。

この空気が自生的起業を後押しする「文化」に
なってきます。

この空気を濃密にするためには、「起業集積」が
欠かせません。一定の空間にいろいろなスモール
ビジネスが集積し、濃密な空気感が、街の雰囲気と
活気を生み出していきます。
*例 上勝の温泉街周辺、神山の寄井商店街

これがさらなる社会関係資本を作り上げていきます。

そして、これが濃密になってくると、ボクがいい街の
指標にしている「偶然性(偶発性)」が生まれてきます。

偶然性とは、街を歩いていると、思わぬ出会いがあっ
たり、思わぬ縁が感じられたり、無計画に動いている
のに、思わぬハプニングとイベントが発生する、そう
いったものを指します。

ドラクエなどのゲームで、うろうろ散策して
いると、イベントが発生したり、宝箱を見つけたりする
ようなもので、このようなハプニング的イベント発生率が
高い街ほど、幸福度が高い街であり、人を
ひきつける魅力につながるのだと思うのです。

こういったハプニングがより発生するためには、
多様なキャリアを持つ人々がいることが大事に
なります。

ハプニングとは思わぬ組み合わせのことですので、
組み合わせが豊富であればあるほど、おもしろさが
際立ちます。

ボクの勝手な夢ですが、例えば、徳島の田舎で
LGBTのパートナー婚を認めたり、アーティストが
遊べるアーティストハウスがあったり、外国人が
うろうろしている場所だったり、いろいろなハプ
ニングが、そこそこ起きるぐらいの回遊性を
高めることができれば、ちょっとわくわくしちゃうなと
思うのです。

そういう街に住んでいれば、地元の人も移住した
人も常に、社会の余白で遊んでくれる人に刺激を
受けることができ、何かしら生まれる空気感を
再生産できるような仮説を持っています。

それでいて、都会のように、幸福をお金で
消費するのでなく、freeである出会いやハプニングが
いたるところで起き、それでいて、食べ物や作った
ものとの距離が常に近い距離にあるならば、それは
幸福との距離感が近い街であり、幸福を感じやすい
仕組みにあふれていることにもつながると思うのです。

このような考えで、
+++++++++++++++++++++++
GNH(国民総幸福量Gross National Happiness)
ならぬ、
GEH(田舎総幸福量Gross Area Happiness)
GHH(故郷総幸福量Gross Hometown Happiness)
*いいにくいので、GH2といおうかなと。
+++++++++++++++++++++++
みたいなものを作り出せるのかなと。

こんな感じのことをやっちゃいたいなあと次年度の
動きを考えています。

みなさん、こんな考えなんですが、どう思います?

またコメントくださいー^^

*こんな話をこれからいろいろしていこうと考えています。

「ほら暮らし」じゃなくて「ホラクラシー」だって

ヒエラルキーに対抗して、ホラクラシーだって。。。

 

会社のどの時期や人員数やさまざまな要因で組織論は変えたほうが

ベストで。さらにいえば、ビジネスモデルによっても、多少向き不向きが

あるでしょうし。

 

どれがいいという話でなくて、どれを採択して上手に使いこなすか

ですかね。

 

それぞればらばらのヒトの心を上手に組織構造のなかに

織り込むことができるのか、いまだ正解には出会わないし、

正解もどきにすら到達しえてません^^

 

おおにし拝