日記

天職の作法 1

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<何のために勉強をするのか?>

10年ぐらい前に、中高校生に話していた「天職の作法」という講演について、今日喋ったので、久しぶりに思い出して書いてみました。またご感想くださいませ。

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自分が教員時代に悩んでいた問いです。「勉強して、何の役に立つのですか?」。子供達に聞かれた時に、どうやって答えてよいものか。大人でも「勉強なんか役に立たないよ」という声をちらほら聞きます。

僕なりの回答は、「勉強ナメンナヨ、です、ハイ^^」(笑)

 基本となるのは中学の国数社理英技家音美体の9教科ですが、9つあるのは、「この世の中を9つの基本視点でみよう」という発想です。9つの視点で世界を切り取り、見ていくことで、世界と自分がつながっていることがわかります。そして、その学ぶプロセスにおいて、自分は何が得意で、何が不得意なことなのか、それがわかることで「世界と自分を結びつける視点」が見えてきます。
また、不得意なことがわかることで、明確に自分の進みゆく道が見えます。だから、役に立たない視点(教科)がわかるためにも、役に立つか役に立たないかわからない勉強をする必要性があるのです。

そして、この世界と自分を結びつけるもの、これがわかると、世界が様々な天才たちの遺産(数千年の歴史において名を残してきたイノベーション、世界を変えた発明)によって我々の生活が成り立っていることがわかります。火打石の発明を引き継ぐライター、車輪の発明を引き継ぐ車などなど、名もなき天才の発明によっても支えられています。

こういった天才の営みを引き継ぎ、つなごうとしてきた人類のタスキリレーの集大成が「教科書」です。

これらの天才として教科書に載るには、国民すべてに愛されてきた長嶋茂雄であろうと、あのイチローでさえも、近現代史として100年は名を残したとしても、1000年単位の視点から見る教科書には名を残すことができません。1000年の視点で見て教科書に残るとすれば、山中教授のips細胞の功績ぐらいではなかろうかと思います。それほどの天才の偉業が「教科書」には載っています。

僕の専門教科で説明すれば、社会科で学ぶことは、「どうやって平和に暮らすためのシステムが生まれてきたのか」、ケーススタディとしてこれらを共感、追体験し、どこかで歴史の意思決定が変えることができたのか、あるいは、少しでも変わることができたのか、その「物差し」となる目を養ったり、意思決定できるようになり、新たな「社会システム」を創造するために学ぶものです。

例えば、「投票」というルールを事例にしましょう。我々はこれまで、政権交代といえば、主としてやってきたやり方は「戦争」です。戦争ごとに政権交代が行われ、国の名前が変わったりしていきます。こういった戦争という方法を使わなければ政権交代できなかったのを、平和裡にできるようになったのが、「投票」というルールです。

一人一人が投票権を持ち、無血に為政者を選べることができるようになったのは、類稀なるイノベーションであり、我々は投票という「平和的クーデター」によって政権交代をすることができるようになりました。

この「投票」という営みの「凄さ」をわかるためには歴史の営みを知らずにはわかりませんし、この「投票」というルールを守り、有効に機能させるためには「投票にいく」ことによってしか維持できません。それゆえに社会科は勉強する必要があります。

そして、勉強というのは「タイムカプセル機能」を持っています。例えば、バイオリンを作っている人(音楽)がいたとします。ほとんどのバイオリンの形は似ていますが、全く違う形のバイオリンを創造しようとしたとします。そうなってくると、色々な形のものを試行錯誤するという方法もありますが、音波のでき方という視点(理科)で見れば、3Dプリンターで試行錯誤して(技術家庭)、改善ポイントが見えてきてアイデアを出す方に注力することができます。

こういった架空の事例でもわかるように、9つの視点(9教科)を学んでいることで、足りない視点が見えてくるし、どこから勉強しなおせばよいのか、どのように進めればいいのかがタイムカプセルを開け直したときのように、また勉強することが適切にできます。

ですから、勉強は今役に立たなくとも、「役に立つとき」が現れた時に、適切に「使える」ようになるためにも必要なことなのです。

もし「勉強が役に立ってない」という大人がいれば、それは「役に立てる場面を生み出せない生活」をしているのであり、勉強を必要としていない「退屈な日々」を送っているともいっているのに等しいのです。次の世代にタスキリレーをしようとしていない、天才たちの遺産にタダ乗りしているフリーライダーであることに気がついていないのです。

改めて、教科書に登場してくる天才たち、そして天才と天才たちの間で、漸進的イノベーションを繰り返してきた名もなき人々の積み重ねを感じて欲しいのです。勉強というのは人類が営んできた「イノベーションの追体験」です。我々の人類史を追体験していくことで、次世代にタスキリレーをしていくための「バトン」でもあります。

自らが大人になって、好きなこと、やりたいこと、たまたま偶然であったなどの動機のちがいはあれど「仕事」をえらび、その仕事に真摯に向き合う。仕事をつうじて、天才たちの遺産を次の世代に引き継げていくのが、皆さん自身の「天職」となるものです。その天職にしていくための作法が「勉強」という営みのことなのです。

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