地域のなかに”ゆらぎ”をつくり、回遊機能を持たせる③

改めて、「今」を見直すと、成熟した資本主義(お金をものさし
にし、交換)は、非常に便利な社会で、お金という共通言語で
すべてのことが「お金で表現できる」。
このことは、人類史上もっとも優れ、だれもが使えている
優秀な道具の1つである。

だけれども、優れすぎていて、お金の悪影響が出やすくなる。

たくさんのお金を集めれば、できることが増えるので、みんな
が集めようとする。集めようとすれば、当然増やす努力をしなくちゃ
いけない。すると、1人1人がどんどん使うように使うように仕向け
る。だから、個食ができたり、携帯もなにもかもが1人1人に与え
られる。過剰な需要を喚起し、過剰に1人1人が持たなくてもいいもの
まで用意される。

そう、現代社会は、「過剰に1人1人に物や道具、サービスを
買わせようとする社会」なのかもしれないのです。

さらに、これまでお金と異なるものさしを用意していた宗教に
取って代わった「科学主義」が、さらに拍車をかけていきます。
科学は「正しさのものさし」となって、より資本主義で起きうる
ことを「裏付けする」ことに使われていきます。
そこで、ますます資本主義が隅々まで広がる社会になり、
1人1人が過剰な需要を喚起され,人間関係が分断されることに
つながっていきます。
そのなかで、シェアというものを地域再生の切り札に
もっていっているわけなんですが、シェアは、分け合うことが
前提なので、1人の状態にさせません。シェアは、資本主義の
正反対に、過剰な消費をしなくてもよくなります。

このあたりの、「資本主義とは異なるベクトル」に働く
シェアというもののおもしろさが見えてきます。

<続く>