では、なぜ、勉強嫌いを産んでいるのか。
それは、勉強の目的も、楽しさも、なにもかも、
実は伝わっていない。
そういうことがあるんだろうと思います。
それに、子どもを教えていても、確かに、向いていない
子どももいます。
けれども、ボクは向いていようがなんだろうが、
「教育は義務」なんです笑。
だって、先祖の知恵に「ただ乗り」して、人生を棒に振る
なんて、先祖に顔向けできないじゃないですか笑
数百万年からの世界中のご先祖ですよ笑
めちゃくちゃ一杯いますから、祟られ方も半端な
数ではないです笑
だからこそ、教師は精一杯、力の限りをこめて
先祖の熱い思いと生きた証を、伝えていく使命が
あるわけです。
だから、子どもにあまっちょろい態度なんかとったり、
単なる我が儘を「個性」という言葉で許してしまったり
してるようではいけないんです。
個性だって、「同じ事をさせているのに違う様相を
帯びていく」のがほんまの個性です。だから、同じ事を
させないと個性は発現しないし、鍛えられないはずです。
ここ最近のワークショップブームを見ても、「思いつき」
レベルのコミュニケーションゲームに過ぎず、本当の意味で
学びに昇華されているものも少なくなってきてます。
やはり学びというのは、数百万年のエッセンスですから、
根性いれて、その世界に踏み込んでいかないと、全然
おもしろくもなんともない。
だからこそ、おもしろい。
簡単に手に入るモンは、つまらないに決まっているじゃ
ないですか。
簡単に手に入らないものを追いかけるおもしろさ、
なんか恋愛術みたいな話しになってきましたが。。。笑
こういう生きる楽しさをまず伝える、そして世界が思いの外
よくできていて、我々を「迎えている」ことを知る。
そして、知ることで、世界と「触れることができる」。
触れることができたならば、この世界を慈しむことが
できるようになる。
知とは、教養というのは、まさにそういう世界と自分の
関わり方=生きる目的を与えてくれるものでもあります。
そういう学びを、増やしていきたい。
単なる文科省がとか、日教組とか、~学習がとか
そういうのでなくて、ただひたすらに「世界はおもしろい」
ことを突き詰めていく。
そういうアプローチをしたいなあと。
つくづく、いま、思っているわけです。
いやあ、真面目に書いちゃった。。。。
終わり