(1)では、「東京からみた地方創生」の必要性(=ストレス回避)でした。
街づくりで起きている現象を、心療アプローチでみていくと、最近トレンドになっていた関係人口論は、東京の人々には効くワードで、主としての東京と心療場所としての田舎・地方の関係を築くと。ストレスも軽減されるし、地方のお役にも立てるよという、防衛機制で言うところの合理化と代償なども同時におこなえるようなものでもあったわけです。
*防衛機制でググってください。
受け入れ側の地方も田舎も、その心療的側面を理解してか、心療的アプローチが取りやすいように、心の安全を保証し、疑似家族的に触れ合うことで、関係性を気づいていく移住政策が多く行われているように思います。
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ここからが課題で、病んでいるならば、完治されると田舎に来なくなるので、都会に住みつつ、田舎に心療に来ると言う関係性は、ある意味共依存関係にいたほうが互いに望ましいと思うようになります。ゆるい関係性がいいわけです。
けれども、地方や田舎は、移住してもらわないと困るし、国はもうお金がないので、再分配に限界があるとみている。官僚も首都圏出身者が多く、地方や田舎の基礎経験も考えもあんまりない。合理的に考えれば、切り捨ててもしょうがないエリアに見えてくる。
そのような微妙な関係性の結果、首都圏から田舎に移住してきた人は、病から脱する可能性が高いので、より自分にあった場所に移動していきます。ですので、「長くはいない(移住はするが定住はしない)」という現象がおこりうるわけです。
*結婚とか農業などの、定住する理由がないかぎり。
となると、田舎や地方は、心療的アプローチの”次の魅力”を作る必要性があるわけです。
では、田舎側の地方創生の起点はどこにあるかといえば、「作られた死の恐怖」であり、「作られた負い目」です。
あらゆる統計や情報によって、「田舎はなくなります」という死の宣告を受け続けています。そして、過剰に再分配されたインフラ設備(小さな町にも道路、橋、学校、病院など)が維持できなくなり(国からの再分配量が減ってきて、そもそもの経済力よりも過剰なインフラがあるから、マイナス経済にあることが問題化された)、「経済的自立」を求められるようになりました。
これまでの右肩上がりの経済では問題でなかった「再分配と言う名の投資」が、経済的リターンを生まないために、「負債」となってきていることが、より鮮明になったからです。
これらのことで、我々田舎に住む人間は、ある意味、幸福であるものの、「余命宣告」と「稼げない負い目」があるもので、どうにかして、この余命宣告と負い目を感じないように努力しているというのが現況ではないかと思うのです。
*ふるさとを守ると言う意味での地方創生はいったんおいておきます。
そうなると、一部の、自然資源で食べることができたエリア(観光や食料資源によるモノカルチャー経済)などをのぞき、もともと土地が狭いために大量生産に向かず、「特徴がない、素朴で美しい自然」にあふれた「なんにもない」ところで、生きる意味を模索し始め、生き残るための”理由”を作らざるをえないわけです。
*ふるさとを守ると言うのは、そこで生まれたから自明的な理由であり、他者たる都市の人には、そこを残す理由がわからないし、通用しないロジックになります。
つまり、地方創生そのものが田舎に住む人にとっては”作られた課題”であるわけです。おかしな表現かもしれませんが、人口を維持したり、魅力を作ると言うのは、実際に人口が多い都市のようにしていくこと(都市化)を目指すことなのですが、田舎であり都市であるという、相矛盾する答えというのは、正直、かなり難度の高い要求です。”田舎の目指す都市化”というのが考えなければならない命題でもあります。
*地方都市はまだまだ稼ぐ余地があるので、努力できる部分はあると思います。
整理すると、東京などの大都市部に住む人にとっては、心療的動機があり、田舎に住む人にとっては、「作られた課題」であり、地方都市は、「都市としてもっとがんばってくれ」というのが実際のところだと思うのです。
ですので、街づくりの先進地域が該当するような離島や中山間地域などの経済的閉鎖系の場所=よっぽど危機感のあるところならいざ知らず、普通の田舎や地方都市にすれば、地方創生とは「与えられた宿題」みたいなもので、今ひとつ「性根に入らない課題」になっている気もするのです。
そして、もっと悩ましいのは、街づくりの整理がうまくできず、心療的アプローチの意味もわかりきれず、経済的自立だけをKPIにしちゃうと、目先のハード整備にいってしまい、「そもそも、そういうハードが重たくなっているのに、わかりやすい魅力づくりのために、また作ってしまう」という悪循環を引き起こしているのも、各地方の現状だと思います。
そもそも、街づくりの目的や意図が整理できていない。なんのためにやるのかが曖昧なまま、単年度ごとにあるいは3年以内に成果をださないといけない補助金の性格上、あせって愚策をひねり出すという悪循環にも陥りかねないわけです。
そう、何かしら”焦っている”のです。
このあたりの解決方法として、心療かつ魅力づくりの二重構造を組み込んだシステムが、徳島県神山町が作り上げた「サテライトオフィス」という仕組みです。つまり、都会の仕事を田舎でやることで、都会の仕事の苦しみは田舎の持つ心療効果で緩和され、田舎でも東京での仕事がやれることで、それぞれの課題を克服する仕組みになっているわけです。
*サテライトオフィスができればできるほど、近隣で同じ条件を持つ場所が有利になってくるので、神山のように文化を起点にして魅力づくりに腐心する必要性がありますので、万能薬ではありません。
また、東京それ自身でも、喫茶ランドリーのような「都市の田舎化(サードプレイス)」ができることで、東京の中でも心療的アプローチと解釈しうるものが少しづつできつつあります。つまり、東京は東京でやれるべきことがたくさんあるということですし、その余白もあります。
では、これ以外に、いや次になにをすればいいのでしょうか。
これまで私が述べてきたサードプレイス論や身の丈起業家育成などはどのように位置付けられるのでしょうか。
いや、そもそも、病んでいるのでなく、分裂しているほうが、現代の生き方ではないのか、という哲学や心療系学問からの示唆もあります。
ここから先は6月以降に全国行脚するまでにまとめますー
^^
また、どんどんお呼びください。
そして、また政策の整理と実施に向けて、各自治体さん呼んでくださいね、と仕事のアピール^^がっちりやりたいのです^^
<続く>