ここ最近の地方創生議論において、実は 論者の出生地(平野か山間部か離島かなど)や 「地方」についてのイメージの差が、結果的に 大きく左右しているという内容をいくつか書き ました。
ロジックとして考えれば、
①全国津々浦々を公平な環境にするためにお金を使った。→成長期ではよかったことだろうと思います。
↓
②ところが維持費であったり、無駄な投資も たくさんしすぎたために、もうお金がないー
↓
③お金がないときは「使う」ほうがいい。
経済はお金を使ってまわすもんだから。 (お金は実態でなく、使った「量」だと いう話)
いや、「使わない」ほうがいいよ。 使わないでも生きられる方法あるだろう。
どっち選ぶ?
(いまここの感じ)
すごい大雑把ですけど、そんな感じではないかと。
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この二つの狭間のなかで、地方という存在は、
二手に割かれています。
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人口30万以上の都市だと、コンパクトにして コスト下げながら、
大きな経済の流れについてい かざるを得ないし、利益を生み出して、
財務を よくする企業的なアプローチが有効だと思います。
ところが、その周辺に存在する小さな自治体に なると、条件不利地であるから、
儲けることが とたんに難度が上がる。
だから、小さな自治体は、特殊解(そこでしか できないこと)を生もうと必死に
努力している と。
まさに地方は東京のように、ビジネスをどんどん できる体制になるように求められるし、
しかし 同じ行政区域内(県)には、たくさんのビジネス 条件不利地域の過疎があり、
過疎では、経済とは 異なる「働き方」「暮らし方」などの方向で 生き残りをかけ、
価値観そのものも相反した ベクトルでひっぱられると。
相反するベクトルの綱引きのなかで、 どういう処方箋が必要なのか、
非常に 難しい現状です。
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そういう特殊解を求める「田舎」なんですが、 求める人材像と活躍できる人材に
はずれがあります。 というのは、特殊解を生み出すことができる 人材は、
田舎では本来「受け入れられにくい」 人物であるはずですし、田舎では理解
しがたい ことを次々と行動できる人でないと、特殊解 を生むなんて荒業は
とてもできません。
が、田舎で活躍するためには、特殊を追いかける 人物にも、等しく「プレイヤー」
であることを 望みます。つまり、そこに住み、そこで仕事し みんなが「動いている」
のがわかりやすい人物を 望みます。
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こうなると、問題は、企画をしながら、田舎の なかで動き回る、
外から見ていて、努力がわかり やすい「プレイングマネージャー」
であることを 求められるのです。
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しかし、野球の世界でもプレイングマネージャーが うまくいったためしが
ほとんどないことからも わかるように、両方をバランスよくやるというのは
監督と選手の両方をやれという荒業を要求している に等しいのです。
監督は監督の仕事を、選手は選手の仕事を役割と してする分業が
やはり必要な気がします。 が、実際の多くの地域で必要としているのは、
まさに、そういう人なんですが、実際にやっている人たちはみんな消耗し、
疲れ切る時期がもう少しできているように 思います。
プレイングマネージャーをやればやるほど、 企業人として業績をのばすほうに
シフトしていくか (マネージャー(監督)側へ)、それとも、 街づくりとして、
プレイヤーに徹して地域に 入り込んでいくことを望むのか。
どちらを選んだとしても、マネージャーになれば 住民から動きが見えなくなり、
うわさやまわりまわった 情報で理解されるようになるので、孤独に陥るし、
プレイヤーになっていけば、当然、企画を考える 時間は無くなる。
だからこそ、いかに、人を消耗させない 街づくりと経済を生み出す仕組みを
考えないと 非常に問題が大きい。