天職の作法 2

《天職の作法続編 音楽でなぜ心が育つと思うのか? 前編》
もうえらく昔に感じる大学院時代に議論した内容が、「音楽でなぜ人の心が育つと思っているのか?」です。音楽教育をやっている人のほとんどが、「音楽教育の目的は情操教育だ」というのですが、その目的をきちんと説明できた人は皆無でした。説明を聞いてみても、「音楽を聴いたら、心が揺さぶられるでしょ。心が揺さぶられるから、心で感じている。それを鑑賞したり、楽器で表現したり、体そのものを使って表現するから、情操教育なのよ」と言われるわけですが、しっくりきている部分と、しっくりこない部分がありました。

子供時代から、「歌歌ってピアニカひいて、リコーダーひけたら心が育つって、めちゃくちゃ無理あるな」と思ってました笑。確かに、いいところのお家の子がピアノを弾けたり、バイオリンを弾いたりしてたので、「音楽を習えることのできるお家」には情操教育できる余地はあるなと思いましたけど笑、そんなら楽器のプロはみんな人格者かと笑。そして、人の心というのが、「学校にいる間に、育てるものなのか?」ましては人格的にも完成していない、というか、(80パーセント以上の人がそうかもしれない)不完全人間である大人や教師によって「心は育てられるのか?」というそもそもの問いも生まれました。

 とすると、「音楽教育で心が育つのかどうか?」という問いに答えるのは、教育を考える上で、かなり有効な問いだなと思うようになりました。

まずボクが考えてみたのは、「音楽」そのものの性質です。ボクの発想だと「音楽は言語」であると考えています。そもそもなのですが、国語、数学、英語、音楽は全て言語です。

言語というのが、ある「意味」を持った記号と考えると、数字は、世界で最もシンプルな意味しか持っていない言語です。どんな国の人でも、どんな文化を持った人でも、1は1以上の意味がありません。

つまり、一つの意味しか持たないのが数字であり、誰もが誤解しようのない共通言語で世界を表現したのが「数学」となります。

それに比べ、国語や英語といったものは記号そのものです。また、単語ひとつ取っても、文章の前後の意図によって「複数の意味を持った記号」にもなります。そして、こういった記号を通じて思考するので、日本語は我々日本人の「OS」でもあります。

我々は、日本語(S+目的語など+V)を使って思考しますので、日本語の持つ「特性」が反映されます。
加えて、ひらがなやカタカナ、漢字、アルファベットを使って、文意を表現します。例えば、べんちゃー・ベンチャー・Ventureと使い分けると、その違いがくっきりすると思います。
日本語の特性では、動詞よりも前に、目的語など状況を説明するのが優先される仕組みになっていますので、何よりも、お互いの状況や使っている文意が正確に届きやすいようになっています。

*注 英語でも同じように整理。英語だとアルファベットのみで、S+Vという
動詞優先の言語になります。日本語と比較すると、動詞=行動を重んじる
OSになっています。

さて、一旦整理してみます。

単一解釈言語とも言える「数字」という言語と、多解釈言語とも言える「言語」の違いをみてきました。では、音楽は、どちらの言語になるのでしょうか?
<続く>

《天職の作法続編 音楽でなぜ心が育つと思うのか? 後編》
*また、コメント欄に感想いただけると幸いです。

前編において、「単一解釈言語とも言える「数字」と、多解釈言語とも言える日本語や英語のような「言語」の違いをみてきました。

 では、音楽は、どちらの言語になるのでしょうか?」
http://www.print-gakufu.com/guide/4003/

音楽は非常に不思議な言語です。ドレミファソラシドのそれぞれの音は数字と同じ、ドはドでしかありません。しかし、色々な組み合わせを通じて、明るい曲調、悲しい曲調など、何かしら意味を発するものではないのに、音と音を組み合わせていくことで、我々の心の中には、「感情」が勝手に湧き出てきます。

ジャジャジャジャーーーーン。

この文字だけ見ても感情は生まれませんが、ベートーベンの「運命」を思い出して、音として聞けば、感情が生まれてきます。これから何が起こるんだろう、とてつもない変化が起きるような感情が揺さぶられてきます。

つまり、音楽というのは、数字のように、1音1音には全く意味がないし、つなげたところで112324980のような無意味な数字の羅列に似たような「音と音の組み合わせ」にすぎないにもかかわらず、感情に変化が現れ、複数の解釈を想像しうる、面白い「言語」であるのです。

このことから、「音楽でなぜ心が育つと思うのか?」に答えていきます。

音楽というのは、この音楽を聴くことによって生じる「言語化されていない、無垢の感情」をベースに、異なる解釈を対話したり、無意識に生じる「無垢の感情」を楽器によってゆさぶったり、揺さぶられたりすることで、「自分自身の無意識と対話する」ことによって、心にダイレクトに関わるから、情操が育つのではないかと考えられているのだと思います。

そのため、我々が普通に親しんでいる歌詞(意味が作詞家によって加えられている)のついた歌謡曲を「音楽教育」であまり取り上げないのは、音そのものから湧き上がってくる感情の方がより情操教育に貢献すると考えられているからだと思います。
*逆に言えば、歌謡曲をもっと使うことができれば、音楽嫌い
の私のような人間は、馴染みやすいのですが。。。

このように考えてくると、我々は、国語(日本語+英語)、数学、音楽という3つ(4つ)の言語を学んでいることになります。更に言えば、言語の初期の頃を思い浮かべると、エジプトのヒエログリフにしても、漢字にしても、おおもとは「絵=イメージ」を形にし、抽象化させて文字にしたものです。とすれば、美術も絵を通じて解する言語という言い方もできます。

すると、このように9教科は再構成されます。

++++
無意識にアクセスする言語(音楽、美術)
意識にアクセスする言語(国語、英語、数学)
++++
これに
****
言語を使って社会にアクセスする(社会)
言語を使って自然にアクセスする(理科)
これらのアクセスによって生まれてきた
ノウハウや文化(技家)
****
そして、
〜〜〜〜
身体にアクセスする(保体)
〜〜〜〜

これら3つの大きな軸によって、自分と世界との関係性を構築していくのが勉強だということです。

しかし、大きな問題点があります。

この3つの視点を統合する、あるいは比較検討する「視点」がないということです。

これは、先の感想で指摘のあった「道徳がない」にリンクしていきます。

僕の視点でいうと、「哲学」(自分と世界を見ていく)という総合的な視点を学ぶ分野が日本の教育においては不足していたという風に考えています。

*逆に言えば、そのようなものがなくとも、同調圧力のしっかりしている日本ではそれほど必要がないと思われてきた傾向にあります。

では、この道徳と哲学というのを、「ルール」という視点で改めて、考え直して見たいと思います。

天職の作法 1

<何のために勉強をするのか?>

10年ぐらい前に、中高校生に話していた「天職の作法」という講演について、今日喋ったので、久しぶりに思い出して書いてみました。またご感想くださいませ。

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自分が教員時代に悩んでいた問いです。「勉強して、何の役に立つのですか?」。子供達に聞かれた時に、どうやって答えてよいものか。大人でも「勉強なんか役に立たないよ」という声をちらほら聞きます。

僕なりの回答は、「勉強ナメンナヨ、です、ハイ^^」(笑)

 基本となるのは中学の国数社理英技家音美体の9教科ですが、9つあるのは、「この世の中を9つの基本視点でみよう」という発想です。9つの視点で世界を切り取り、見ていくことで、世界と自分がつながっていることがわかります。そして、その学ぶプロセスにおいて、自分は何が得意で、何が不得意なことなのか、それがわかることで「世界と自分を結びつける視点」が見えてきます。
また、不得意なことがわかることで、明確に自分の進みゆく道が見えます。だから、役に立たない視点(教科)がわかるためにも、役に立つか役に立たないかわからない勉強をする必要性があるのです。

そして、この世界と自分を結びつけるもの、これがわかると、世界が様々な天才たちの遺産(数千年の歴史において名を残してきたイノベーション、世界を変えた発明)によって我々の生活が成り立っていることがわかります。火打石の発明を引き継ぐライター、車輪の発明を引き継ぐ車などなど、名もなき天才の発明によっても支えられています。

こういった天才の営みを引き継ぎ、つなごうとしてきた人類のタスキリレーの集大成が「教科書」です。

これらの天才として教科書に載るには、国民すべてに愛されてきた長嶋茂雄であろうと、あのイチローでさえも、近現代史として100年は名を残したとしても、1000年単位の視点から見る教科書には名を残すことができません。1000年の視点で見て教科書に残るとすれば、山中教授のips細胞の功績ぐらいではなかろうかと思います。それほどの天才の偉業が「教科書」には載っています。

僕の専門教科で説明すれば、社会科で学ぶことは、「どうやって平和に暮らすためのシステムが生まれてきたのか」、ケーススタディとしてこれらを共感、追体験し、どこかで歴史の意思決定が変えることができたのか、あるいは、少しでも変わることができたのか、その「物差し」となる目を養ったり、意思決定できるようになり、新たな「社会システム」を創造するために学ぶものです。

例えば、「投票」というルールを事例にしましょう。我々はこれまで、政権交代といえば、主としてやってきたやり方は「戦争」です。戦争ごとに政権交代が行われ、国の名前が変わったりしていきます。こういった戦争という方法を使わなければ政権交代できなかったのを、平和裡にできるようになったのが、「投票」というルールです。

一人一人が投票権を持ち、無血に為政者を選べることができるようになったのは、類稀なるイノベーションであり、我々は投票という「平和的クーデター」によって政権交代をすることができるようになりました。

この「投票」という営みの「凄さ」をわかるためには歴史の営みを知らずにはわかりませんし、この「投票」というルールを守り、有効に機能させるためには「投票にいく」ことによってしか維持できません。それゆえに社会科は勉強する必要があります。

そして、勉強というのは「タイムカプセル機能」を持っています。例えば、バイオリンを作っている人(音楽)がいたとします。ほとんどのバイオリンの形は似ていますが、全く違う形のバイオリンを創造しようとしたとします。そうなってくると、色々な形のものを試行錯誤するという方法もありますが、音波のでき方という視点(理科)で見れば、3Dプリンターで試行錯誤して(技術家庭)、改善ポイントが見えてきてアイデアを出す方に注力することができます。

こういった架空の事例でもわかるように、9つの視点(9教科)を学んでいることで、足りない視点が見えてくるし、どこから勉強しなおせばよいのか、どのように進めればいいのかがタイムカプセルを開け直したときのように、また勉強することが適切にできます。

ですから、勉強は今役に立たなくとも、「役に立つとき」が現れた時に、適切に「使える」ようになるためにも必要なことなのです。

もし「勉強が役に立ってない」という大人がいれば、それは「役に立てる場面を生み出せない生活」をしているのであり、勉強を必要としていない「退屈な日々」を送っているともいっているのに等しいのです。次の世代にタスキリレーをしようとしていない、天才たちの遺産にタダ乗りしているフリーライダーであることに気がついていないのです。

改めて、教科書に登場してくる天才たち、そして天才と天才たちの間で、漸進的イノベーションを繰り返してきた名もなき人々の積み重ねを感じて欲しいのです。勉強というのは人類が営んできた「イノベーションの追体験」です。我々の人類史を追体験していくことで、次世代にタスキリレーをしていくための「バトン」でもあります。

自らが大人になって、好きなこと、やりたいこと、たまたま偶然であったなどの動機のちがいはあれど「仕事」をえらび、その仕事に真摯に向き合う。仕事をつうじて、天才たちの遺産を次の世代に引き継げていくのが、皆さん自身の「天職」となるものです。その天職にしていくための作法が「勉強」という営みのことなのです。

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「地域社会維持発展法人」?

うちもこれになれるか?「地域社会維持発展法人」?
本当に1次産業での人手が足りなくなって来ています。海外からの研修生制度以上に、数を増やしていかないと、本当に基礎産業が壊れていきますね。
リンク先 https://mainichi.jp/articles/20170817/k00/00m/010/117000c

考えてみた、地域商社

<昨日考えてみた、地域商社>
昨日行われた香川大学ビジネススクールの同窓会with高松三越のワイワイ会(会の名称)。
地域商社というのが、どういうものなのか。昨今よく聞く中で色々考えるきっかけにしようと、昨日から初日として参加している青森・弘前大からきたインターン生と一緒に参加してきました(私自身は6期生でOBになります)。

色々な話をしてみて見えてきた課題は、

1)地域内の物品などを取りまとめして、どこの誰に売るのか?
国内マーケットが飽和している中、またふるさと納税とかぶ
る部分も多いので、何が同じで何が異なるのか。
2)海外向けを狙う場合、ジェトロでやっているものと何が違う
のか?個別企業がやっているのと、総合でやるものの違いな
のかどうか。
3)国内でみた場合、かなり売り方に工夫しないと、通販でもな
んでもそうそう売れない。すでに強いチャネルを持つところ
で売れたとしても、生産者や地域商社にどれほどの利益率が
残るのかわからない。それほどの製造ロットに対応できない
中小企業では、数売ってさばいて利益を確保という戦略は使
えない。ならば、どうやって仕掛けていくのか。

以上の論点を埋めるには、あまりにも時間がなかったのですが、これから地域商社を考える上で、どのような戦略を描けば良いのか、その課題をいただくことができました。

参考https://www.projectdesign.jp/201606/overseas-expansion/002896.php

8・30 日本縦断ローカルベンチャーフォーラム@上勝

8月30日、光と影の「山のビジネス化課題」について3人のカリスマが話を上勝町でします。
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2017年度、ローカルベンチャーを推進する全国10市町村で連続的に行われる日本縦断ローカルベンチャーフォーラム。徳島県上勝町では、8月30日(水)に西粟倉からエーゼロの牧さん、東京からETIC.の宮城さんを迎え、いろどりの横石社長とともに「地域で稼ぐ」をテーマに講演とパネルディスカッションを行います。
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かつては建材の主力だった杉。そして誰もが儲かると信じ、国策として植えまくって日本中に花粉症をもたらした杉。いまや、土砂災害の被害を甚大にしている杉。この「まちづくりの総意」として植林された、戦後日本最大の「まちづくりの失敗」事例の杉。どんな課題解決案を示してくれるのか、点での成功が水平展開できるのか、ソレトモ。補助金突っ込んでも全国の多くの山々が維持管理に悩まされるなか、僕自身、今後の最大のまちづくりの難所と思われるうちの1つがこの課題なので、楽しみにしています。
○申し込み
https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSeoxKMUY98ZrkGvAr6jI1-o2NxbXsZgApEMXbkvTcioQ1ahIg/viewform

<日本経済新聞の密着取材中>

<日本経済新聞の密着取材中>
教員時代からお世話になっている日経新聞の密着グリグリイチャイチャ取材を受けております^^色々なことを聞かれるのは本当に楽しい^^9月にはお見せできると思います^^

《寛容性のある暮らし》

《寛容性のある暮らし》
神山における移住関係者の寛容性は素晴らしい。偶然出会った時のレスポンスがいいから、つながりが広がりやすい。そして、偶然の出会いにワクワクできる。こういった受け入れにたいする寛容性というのが、小さなコミュニティを往き来するコネクターを活発化させ、まるで呼吸するかのように街に人が交流でき、より交流を活発化させる。

いつからかうちには少なくなってきている、この寛容性。人口減少に伴う個人負担(例 草刈り範囲が増えるなど)が増えて忙しくなり、ヨソモノ、バカモノとコネクターとの間にさける時間的余裕が減ってきたのが構造的課題。なかなか悩ましい話です。

適度な暇をもて余す。

寛容性を考える上では大事だなあと思います。
街づくりの人類学

《休暇の読書》

《休暇の読書》
久しぶりの読書。ベーシックインカムがよくわかる「隸続なき道」が面白い。まさかニクソンがやろうとしていたこと、それを阻んだイギリスのスピーナムランド制度など、歴史や実証実験の話もあり、とても分かりやすい。うわさでは、作者はロビストとして意図的に仕掛けているとも言われているが、それも含めて面白い。ソトコトも後で読もう🎵
https://m.facebook.com/bunshun.online/posts/1782833092027698