<読後3「あわいの時代の論語」>

読後3
「あわいの時代の論語」

世界をどのように見ていくのかというか問いかけをきちんとやった人びとに仏陀、プラトンやアリストテレス等々の天才たちがいる。仏陀は、世界の仕組みと幸福の関係性を科学的思考(原因と結果に基づいて構築する)によって明らかにしようとした人であるし、プラトンは宗教が確立した「あの世とこの世」の2つに世界を分けることで認識を深めようとしたし、天才の問いかけは時間を越えて引き継がれる。この本で紹介される孔子も、争いがなくならないのはなぜかという問いに真摯に向き合った天才である。孔子は、コミュニケーション不全が争いの大本であり、不全が起こらないようにコミュニケーションルールを確立させようとしたのが論語である。と、ボクは思ってます。江戸時代に組織論として論語はじめ、朱子学といった形で幕府の学問として採用されたのも、幕府に都合良かった点があるにせよ、為政者にとってのコミュニケーション不全が国家の基盤を揺るがし、戦になることをよく知っていたからたとも言えます。

この本は、漢字の成り立ちから最近話題の技術的特異点シンギュラリティ、AI に至るまで話題が広がりながら、21世紀から見た論語の役割を再定義している本です。少々論理の飛躍かなと思わされる箇所もありますが、博識ならではの雑学が多く、情報量いっぱいの本です。特に漢字の成り立ちについての話が多く、とても面白いです。論語の解釈においても、心という漢字が生まれる前に成立した論語なので、心というものの再定義から始まる仕掛けはとても納得できます。では、いま論語をどのように位置付ければよいかといわれれば、「新たな論語」が必要とされているのかもしれません。