<ギフトエコノミー②上限があるということ>

 前回のお話は、資本主義に基づく貨幣経済の課題、
1人の消費の最大化に進むために、コミュニケーションが
不足しやすくなったりするなどの問題がでてきている
が、その解決策の一つに、物々交換にみられるような
新しい贈与経済の姿(ギフトエコノミー)が見られる
のではないかという話でした。
 もう一つ、資本主義の問題点があります。
 それは、「上限をなくそうとすること」です。
 典型的なものですが、金融の世界を見ていると、
虚のお金が出回っています。虚のお金というのは、
例えば国債。これは国の借金ですが、この借金を
することで、未来のお金を持ち出してきて、現在の
お金として流通させています。
 また、信用創造や株式・FXもそうですが、
貨幣の流通量を増やす作用をもっていることで、
どんどん実体経済以上のお金が動かせるように
なっています。
 さらにはCO2排出権の取引であるとか、よくよく
わからないものも増えたりと、ありとあらゆる金融商品
が生まれ、お金を動かそうとする方向に発展していきます。
 けれども、こんなに金融商品はいるんでしょうか笑。
 そもそもな話なんですが、すごい違和感のあることが
あって、ミカン農家さんなどが、形がいびつだったり、
サイズが小さいということで、ジュース用に、キロ何十円
みたいな話があります。実物作っている人が大変な思いを
して作った食べ物が何十円の世界で取引されているのは、
やっぱりおかしいなあと。
 そういう意味でも、実体経済よりも大きくなって
しまった金融中心の経済というのは、何かしらおかしな
ところを感じます。
 しかしながら、この実体経済分の上限をとっぱらって
いく作用は、このままではなくならないと思います。
 ますます、いびつになるんだろうなあと思います。
 このあたりの作用を食い止めるのが、一つは
ギフトエコノミーなのかなと。
 
 物々交換などができる範囲、祭りでワイワイ騒げる
範囲というのは、これだけ技術が発達しても、実は
非常に小さいです。
 
 つまり、贈与できる範囲=上限になるわけです。
 上限があることで、相手の顔もみえるし、作り手が
わかる。それらの連鎖が、社会の信用度を形作る。
 そういう意味では、田舎というのは「上限のある
社会」で、都会というのは「上限を作らない社会」とも
言いかえができます。
 しかし、インターネットのおかげで、上限のある
社会である田舎でも、その恩恵を享受できるように
なりました。田舎に居ながらにして、世界のあらゆる
ものは買えます。
 そういう意味では、ハイブリッドな経済圏が
生まれているといえるでしょう。
 けれども、成長のない田舎では、やはり、コミュ
ニケーションがあっても、野心や刺激を求める人は
どんどんでていきます。 
 とすれば、ギフトエコノミーのなかでの「成長」や
「刺激」「野心」を論じる必要性がありそうです。
<続く>