<過疎のホスピスと、公平性の矛盾>

スライド16
先日、とあるエリアの消えゆく集落の予想図を見せてもらいました。
確実に10数年足らずのうちに、なくなる集落がありました。

しかし、そこに、地方創生といって、何かしらの手立てを
打てるだけの財源の余裕もなく、またそこの集落の文化を守る人も
おらず、まさに”過疎集落の延命治療”の必要性の有無もきちんと
論じなくてはいけません。

 ところが、「どこに住む人でも等しく同じようにサービスを受ける」
ようにする公平性を最大にした、これまでの福祉国家的日本の行政
ルールでは、確実にたちゆかなくなってきました。

ボク自身は、福祉国家大いに結構だとおもいます。

というのも、つい最近まで国家は時として国民の利益収奪装置
でもあったからです。

死ぬまで国が面倒見てくれる安心感というのは、国民の
安全を守る国家最大の役割に変わりました。

国がゆりかごから墓場まで面倒見てくれる。

これは最大の国家事業です。

しかし、しかし、しかし。

高額医療と薬で延命治療できるだけの技術が
確立した今、生きれば生きるほど、国の財政を破たんさせて
しまう悪循環に陥っています。

高額医療を低額にし、最小コストのまちづくりに
シフトしていくことで、どうにかこうにかバランスを
保っていくしかない今、山深い不便なところ、無人島に
近づく離島は、すべからく、ホスピスが必要になって
きます。

けれども、過疎のホスピスなどを論じられる「合意形成」
の場など実際にはありません。

口が裂けても、行政の立場からは、過疎のホスピス論、
どうやって幸せに看取っていくのかという議論は、いえません。

死にゆく過疎に、応急処置をしつつ、尊厳ある死を
迎えてもらうのを、「ただ等閑視して、見過ごす」こと
でしかなしえません。

僕ら現場でやっている感覚としては、民間ベースでは
過疎のホスピス論を考えていかなくてはならないですし、
最小コストで賄えるサイズのコンパクトシティでの幸福論も
同じく論じなくてはいけません。

離散すればコストがかかり、過密になれば幸福の総量が
減衰する。

そういう意味では、「適度な都市サイズ」最小値と
最大値の発想もいるかもしれませんが、考えてみれば、
これにも明確な正解は出ないと思います。

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これらの課題は自治体の税収を上げ、コストを下げる
ことでもずいぶんと変わってきます。

そうなると、エネルギーコストを下げ、社会保障費を
下げ、税収をあげるような産業を生み出す。

こういう根本的なところでの街づくりも必要かも
なと思います。

上勝では、ゼロウェイストによりコストを下げ、
石油以外の自給エネルギーの利用に、そして
産業促進に力を入れ、まさにその課題に必死に向かい
合っています。

太陽光、小水力、風力、バイオマスなどなど、
いろいろ試行錯誤していますが、まだまだ抜本的な
ところまで攻め切れていません。

真夏の夜に、どうやって一つ一つの課題に
ブレイクスルーを求めていけばいいのか、
あれやこれやと考えています。