<地方創生論ははだかの王様化しつつある>

 

<前編>
 本日のおともの本。
 
 「地域再生の失敗学」
 
 おおよそ、地方創生ブームの裏側が出版されつくして
きました。
 おおよそ、補助金が投資でなくて、使い切り。維持費を
考えない非ビジネス設計。土建国家と仕組みが同じ、補助金
漬けの新たな土建構造類似型ビジネスになどなど。

 現場のプレイヤーから見れば、当たり前の直視している
現実が見え隠れしています。

 とはいえ、本を書いている人の80%はうなづけるものの
(分析部分はほぼ当たっています)が、残り20%の提案
部分がなんとなく、うなづけないところがあります。
 *この本がというよりも、どの本も同じ傾向に。

 批判を返してこない公務員批判であったり、政府の政策
批判とMBA講座みたいなビジネス処方箋。

 原因がわかっても、どういう薬を打てばいいのか、
本当のところは、それぞれの人口規模や近隣都市の力加減、
町がどのような文化、産業、教育ステージにたっているの
かなどによって、かなり変わっています。

 そして、そもそも論ではありますが、産業を生むに
あたって、それほど合理性の高くない場所から順番に
人口が減ってるわけであって、ビジネスという処方箋が
効きやすいとも限りません。

 そういう意味では、県庁所在地などの地方中枢都市以外の
人口規模の多くない地方零細エリアというのは、もともと
産業構造そのものが脆弱ですので、「依存体質になりやすい」
わけです。

 
 そういうわけで、何かしらのビジネスを考えるならば、
かつての発展途上国のように、モノカルチャーというか、
その土地の特性を活かした一点突破的な産業づくりを
少なからずやらなければなりません。

  が、モノカルチャー経済の特徴としては、外部環境に
影響を受けやすいという性格があるので、自立しようが
補助金であろうがどっちにしても外部環境の影響を色濃く
受けるわけです。

 結局のところ、平野(都市)で育ったビジネス観と、
山間・島(過疎)で育ったビジネス観では、かなり
大きな違いがあるような気がしてなりません。

 そういう意味では、論者が平野出身者か、山間・島
出身者かというのも、論の根底イメージに影響を与えて
いるように思います。

 
 そして、これらの話を突き詰めると、人口減少社会
では、平野に住め論(コンパクトシティ)にいきつく
わけでして。

 地方創生をやっているプレイヤーは、こういった
本で刺激を受けているわけですが、同じ刃の返しで
かなり厳しい状況が待ち受けているのは間違いあり
ません。

 最小コストのインフラ整備の費用を割り出し、
行政コストの最適化をしつつ、どうやって生き残って
行くのか、切実な争いが今後生まれてきそうな気が
します。

<後編>

今日も何冊かななめ読みしています。
 
 地方創生論のいろいろな本。

 こういうのが出てくる時点で、やっぱりブーム
なんでしょう。

 しかし。

 読めば読むほど、紹介している成功例というのは
財務諸表みればそうでないことが一目瞭然ですし、
経済的に成功している事例をみても、それは企業
としての成功事例であって、街づくりの成功事例
ではないような気がします。
*ここが大きなポイントでして。

また、分析をしにきた識者はデータやヒアリングの
恩義があって本当の姿を描くことがかなわない、
道義上の問題を抱えます。

また、現場を見ることがほとんどない識者の、
マスで議論するパターンでは、マクロな問題設定で
見るがゆえに、ミクロな現実が見えにくくなるし、
リアルな処方箋に思えません。

現代版「姥捨て山」の議論の延長です^^

 どっちの論にしても、実態は「伝わらない」し、
「伝えられることはない」という結果になっている
気がします。。。

 いつまでたっても、大本営発表の構造が抜けきれて
いないわけでして。

 いやあ、どうしたらいいんでしょうかね笑

 過疎がまだらに消滅していくなかで、
大多数が「平野の住人」ですので、民主主義の
原則にのっとれば、時間の問題で、「平野の論理」
で物事は決まっていきます。

 こういうほんとの議論を、どこでしたらいいん
ですかねー